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町長就任48日目の衝撃  梅原猛と「草木国土悉皆成仏」

印刷用ページを表示する 掲載日:2024年5月20日更新

愛知県南知多町長 石黒 和彦氏愛知県南知多町長 石黒  和彦​​​

 南知多町は、愛知県知多半島の先端と沖合に浮かぶ篠島、日間賀島等の島々からなっています。昭和36年6月1日、内海町、豊浜町、師崎町、篠島村、日間賀島村の合併により誕生し、人口29,654人、出生数が566人での船出となりました。

 古くから天然の良港に恵まれ漁業が発達し、県下最大の漁獲高を誇っています。農業も昭和36年の愛知用水の完成以降急速に発展し、都市近郊型農業を展開しています。

 また、本地域は三河湾国定公園、南知多県立自然公園に指定され風光明媚な自然景観に恵まれています。温泉や海水浴場、名所・旧跡、文化財、各地区の祭礼など多彩な観光資源を有し、新鮮な活魚料理やイチゴ狩り、海釣りなどが四季を通じて楽しめる観光地となっています。

町長就任48日目の衝撃

 平成23年1月23日、私が町長に就任し、「日本一住みやすいまち」「人口減少ストップ‼」の公約実現に向け意気揚々と見えても、足が地についていない状況の時でした。

 その年は町制施行50周年の年であり、多くの記念行事を行いました。その中に名誉町民「梅原猛の記念講演」が企画され、京都のご自宅へ講演依頼に伺い、先生から心良く承諾いただけたことを思い出します。

 その3日後、平成23年3月11日、町長就任48日目に東日本大震災が発災しました。

 本町にも津波警報が発せられ、災害対策本部を設置し、水門、樋門、陸閘等を閉める対策をしながらも、信じ難い災害の厳しい現実が衝撃となり、初登庁からの高揚していた気分は吹っ飛び、町長の職責の重さ、厳しさが私を襲っていました。

 「私に町長が務まるだろうか?」

 連日の報道で、被災地の首長の堂々とした姿が、さらに町長としての覚悟を突き付けてきていました。

 そんな中、当時の菅野典雄飯館村長の姿に感じるものがあり、注目し続け、目指す町長像のお手本としつつ大災害時における、職責の厳しさを覚悟していけたように思います。

 今、能登半島地震で本町は志賀町に職員を派遣しています。志賀町の稲岡健太郎町長は、初登庁後8日目に大災害に見舞われました。

 それはそれは大変な試練の毎日でしょうが、職員の方々とともに乗り越えていかれることと信じています。

梅原猛と「草木国土悉皆成仏」

梅原 猛先生

 平成23年6月1日、南知多町町制50周年記念式典にあわせて、「日本文化の核心」をテーマに梅原猛先生の記念講演が行われました。

 そのころ先生は、東日本大震災・復興構想会議の特別顧問をお受けになられ、多忙を極める日々の中での記念講演となりました。

 先生は、第1回の復興構想会議の挨拶で「この災害は天災であり同時に人災の面もあるが、私は原発を使い生活を豊かに便利にしてきた文明が裁かれている文明災だと思う」と挨拶し、その発言が注目されました。

 また、記念講演の中でも、復興するには、自然を痛め傷つけ築いてきた人間中心の西洋文明ではなく、日本古来の文明に光明がある。「草木国土悉皆成仏」万物に人間と同じ心があるものと捉え、人と人との共生、人と自然との共生という思想のもとで必ず東北は復興できる、とお話をされました。

 先生の言葉は、私に大きな示唆を与えてくれました。

 東日本大震災、先生の記念講演から13年、南知多町長4期目の今、本町の人口は15,914人、豊かな自然と伝統文化に恵まれながらも、昭和36年の合併以降、人口は一貫して減少しています。特に令和5年度では、出生数が40人となり、強烈な逆風の中で航海を続けています。

 「人口減少ストップ‼」を実現するためには、産業振興や子育て支援、防災力の向上など進めなければならないことが山積みです。「人と人との共生」「人と自然との共生」の教えを大切に、南知多町に古来より受け継がれてきた文化・生業の中に、次代を切り開く光を見出し、日本一住みやすい持続可能なまちに向け、全力で帆を進めてまいります。