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わが人生を顧みて、次代を想う

印刷用ページを表示する 掲載日:2024年3月25日

道志村長 長田 富也氏山梨県町村会長・道志村長 長田 富也​​

 私が高校2年の秋の時、遠足から帰った晩の事でした。製材業をしていた父親から仕事の話を持ち出され、学校を中退し手伝ってもらえないかと問いかけられました。今では考えられない話ですが、そんな時代でした。その時は躊躇し、考えさせてもらいたいと返事を返しましたが、気になり学校の担任の先生に打ち明け、結局父親の手伝いをする決心をしました。

 私の仕事は木材の買付けと製品の販売でした。約10年間程その仕事に従事したものの、材木の買付けがむずかしくなってきた時代でした。

 その頃、結婚を考える時期と重なった記憶です。家族は、祖父母、父母、兄弟3人の大家族でした。プロポーズの言葉が「家にはじいさん、ばあさんも居るが嫁に来てくれるか」でした。

 それは、父親と相談し新しい事業を考え始めた頃でもありました。丁度、新事業のお手伝いをして頂ける知人と知り合い、現在の事業の先駆けとなる金属加工業という仕事に飛び込みました。東京の仕事先である会社に住込みで1年間、技術の見習いを受けました。仕事を始めるも、下請け会社の厳しい仕事内容のため、妻と二人、毎日夜中まで休日はなく、仕事を続ける日々でした。こんな生活をしていたら身体が壊れてしまうと考え、どうしても上場会社の仕事を受けたいと願う毎日でした。そんな時、運良く親戚の方より、上場企業の方を紹介して頂き、本当に死に物狂いでその会社の仕事を始めさせて頂きました。徐々に仕事も増え、従業員も3名~10名、20名になり、取引先様の時代の要求により部品から製造までの一貫生産の受注を受け、昭和59年に都留市内で電子製造業を開始しました。その後さらに自動車関連の電装品の金型工場を立ち上げ、次に得意先様の高度な要求に答えるべく、軽量化を推進するためアルミ製品の製造工場を第3の工場としていずれも都留市内に設立しました。仕事も順調に進む中、都留市内の中小企業の経営者で設立している都留経営者連絡協議会という会があり、当時、第3代会長も約10年にわたりさせて頂き、都留市の方々とも本当に充実した時間を共有出来た事は今も尊いものになっております。

 道志村は山間の静かな村で、山中湖村から神奈川県相模原市に通ずる国道413号線沿いにあり、細長い七里の村です。道路沿いにそって素晴らしい道志川の清流を一望でき、この清流は横浜市の水源として位置付けられており、横浜市との交流は、さまざまな環境に対する支援を頂いております。横浜市民のふるさと村としても色々な交流の場も設けさせて頂いております。そんな今、道志村の事を考えた時、少子高齢化が進み、若者が定住出来なくなる村となってきているなかで、早急に取り組むべき問題としてインフラ整備を考えざるを得ませんでした。一番の難関は都留~道志線という深い峠があり、これをどうしても“トンネルで抜く”という考えになったのは10数年前からでした。私はそのためにはどうしても政治でなければこの事業は一歩も進まないと考え、村長という職を頂き実行したいと考えるようになりました。そして村長就任後、都留市の市長さんの協力も得て、トンネルの早期実現のため、期成同盟会を発足し、現在は県にも道志村の実情を理解して頂き、一歩ずつ進めているところです。このトンネルの完成により、20号線が災害などで不通になった時、代替道路として大きな貢献をはたす事は間違いないと信じております。

 現在私は3期目途中ですが、令和2年頃より役場庁舎の老朽化にともない新庁舎の建設を計画しました。すでに完成間近となり、4月初旬には落成式が出来ると考えております。

 最後に今日まで色々な方面でお世話になった方々へ、ただただ感謝の一言に尽きます。ありがとうございました。