徳島県佐那河内村長 岩城 福治
徳島県唯一の村、名東郡佐那河内村は四国徳島県の中東部に位置し、人口約2,200人、総面積が42.28km²の小さな村です。県都徳島市から車で30分の距離に位置し、美しい川と日本最古とも言われる棚田の風景、紀伊半島まで眺望可能な大パノラマに加え、紫陽花や星空が美しい大川原高原など、心癒やされる「徳島の穴場」として知られています。
戦時中、私の曾祖父は村民の要望を受け、自らの体調不良を押して村長に就任しましたが、病状が悪化し、任期を全うすることなく志半ばで他界しました。そして平成27年、村を二分する村長選挙が行われた際、多くの村民の皆さまから私に、曾祖父の話を重ね、出馬の要請をいただきました。当時、民間団体に勤めていた私は、悩み抜いた結果、出馬を決意し、激しい選挙戦の末、政治の世界に入りました。曾祖父の座右の銘は『公平無私』であったとのことで、私もその想いを引き継いでいきたいと思っています。
佐那河内村の歴史は古く、村史によると平安時代中期、治安年間(1021~1024年)に現在の村名(当時は上・下佐那河内村)が記され、以来1000年の歳月を経ています。また、明治22年の村制施行から133年が経過し、郡内に11あった村が次々と合併するなか、名称と文化を守り続ける、由緒ある伝統を誇る一郡一村の自治体です。
本村には、自然・歴史・文化など多種多様な「村自慢」がありますが、その筆頭は基幹産業である農業です。江戸時代に蜂須賀公へ献上されていた「棚田米」をはじめ、「みかん」「すだち」「ゆず」「ゆこう」などの和柑橘、さらには高級ブランドとして全国的に有名な「さくらももいちご」や、「達磨キウイフルーツ」「大川原ネギ」「しいたけ」など、豊富な農産物を「村のごちそう」として、県内外の食卓にお届けしています。一昨年、東京の企業では本村初となる拠点誘致が実現し、和柑橘を原料とした化粧品・飲料などの製造・販売とともに、洗練されたコンセプトのカフェが併設され、地域に新たな賑わいを創出しています。
また、地方自治で特筆すべきは、地域が「講中」「常会」「名中」と呼ばれる重層的な住民自治組織により支えられている、現在では非常に稀有な自治体です。村内に47存在する常会では、行政や地域行事の情報伝達のみならず、河川や道路の清掃など、さまざまな活動を実施しています。
そんな人のつながりや豊かな自然、そして「ふるさと教育」「英語教育」「ICT機器を活用した教育」を三本柱にした小中一貫教育などに魅力を感じた子育て世代の移住者が増加しています。村としてもスムーズな移住のため、事前に常会とのマッチングを行い、しきたり・慣習・伝統などをご納得いただいた上で転入する仕組みを整えるなど、地域コミュニティ維持のため、取り組んでいます。
2025年、団塊の世代が後期高齢者となる超高齢社会が、我々の前に峠として訪れ、2040年には1.5人の現役世代が1人の高齢世代を支える世代間の不均衡が、より高い峰として待ち構えています。
そのような中で、全ての村人が峠と峰を越え、その先にある「豊かで」「穏やかで」「優しい」、今までと変わりのない佐那河内村に着到するためには、人と人との絆や、代々受け継がれてきた歴史、文化、豊かな自然、優秀な農産物などの地域資源を村人みんなで見直し、掘り起こし、移住者の新たな力も取り入れながら、より本質的で創造的な取組を行うことが必要です。
これを実現するため、「豊かな未来へ向かってつづく村宣言さなごうち」を将来像に、持続可能で賑わいのある村づくりを進めるプロジェクト、「さなごうち 次世代へ贈る、新しい光景・ものがたりの創出(略称・さなごうち新ものがたり創出事業)」を展開することとし、村誕生1000年の節目となる昨年からキックオフしました。
このプロジェクトでは、「シビックプライド(村人である誇り)の醸成」「村の歴史・伝統文化の保存」「村にのこる文化資産の披露」「村の集いの場の創出・活性化」など、さまざまな取組を行うこととしており、その理念を全ての村民、村職員が共有し、強力に推進していくため、「さち香る 風の谷」をキャッチコピーに、村の特産品や観光地、歴史スポットなどをピクトグラムで表したデザインのシンボルマークを作成しました。
このマークを旗印として、村人とともに未来の子・孫世代に思いを馳せつつ、「公平無私」を心に、次の1000年に向け、一歩ずつ着実に歩みを進めていきたいと考えています。