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靴下生産日本一の町 産業振興の挑戦

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年5月15日

奈良県広陵町長 山村 吉由奈良県広陵町長 山村 吉由

 広陵町は、奈良盆地の北西部に位置し、大阪市中心部まで、車、鉄道で1時間以内という距離にあり、住宅地として発展してきました。人口は、約3万5千人で奈良県下の町村で最大となっています。面積は、16.3km²でコンパクトな町です。ほぼ平坦で、小高い丘陵地は新興住宅地で、平野部には旧来の集落が点在しています。昭和の大合併で昭和30年に広陵町が誕生し、間もなく70周年を迎えようとしています。

 広陵町が誕生した頃、私は可愛い小学1年生でした。合併を祝って学校で旗行列として町内を巡り、紅白まんじゅうを頂いた記憶があります。古きよき時代だったと思います。

 広陵町は、靴下生産量日本一を誇り、靴下の町として栄えてきました。靴下の生産が始まったのが明治43年(1910年)で、それから113年になり、伝統産業と言ってもいいと思っています。靴下産業は工程が多く、分業制になっていて、編み立て、先縫い、仕上げ、加工などに分かれ、家庭内職も多く、町全体が靴下に関わっている感じでした。しかし、経済のグローバル化に伴い、生産の拠点が海外に移り、経営者の高齢化に加え、後継者がいない事業者の廃業が増え、靴下の町の将来が危ぶまれる状況が続いていました。それでも100年以上続く靴下生産技術は日本一、いや世界一と評価する靴下事業者の熱意が支えとなり、靴下生産の歴史を後世に残そうと、広陵町靴下組合が企画、編集した「広陵くつした100年史」がまとめられました。その成果が、若手後継者が中心となって、アンテナショップ「広陵くつした博物館」を開設し、独自のブランドで売り出す取組につながりました。また、毎年、春と秋に靴下の市が開かれ、定着しました。

 そうした取組もあって、近畿経済産業局の地域ブランドとして「広陵くつした」が採択されました。ふるさと納税の返礼品としても人気があります。地場産業の靴下産業を含めた地域産業の活性化を図り、地域経済循環率を高めるため、産・官・学・金で構成するワークショップ、600社を超える企業へのアンケート結果を受けて「中小企業・小規模企業振興基本条例」を制定し、振興計画を策定しました。時を同じくして、新型コロナウィルス感染症が蔓延し、大きな影響を受けましたが、この取組により、企業、事業所と行政の距離がなくなり、真に必要な支援策を短期間にまとめることができました。

 また、内閣府からSDGs未来都市の認定を受け、地域商社「一般社団法人なりわい」を設立、地場産品の販売支援、ふるさと納税業務を委託し、地域のお金を地域で回す、産業振興の拠点としています。また、大和高田市と共同で、「ビジネスサポートセンターKoCo-Biz(ココビズ)」設立、企業、事業所の無料相談支援に取り組んでいます。お金をかけずに知恵とアイデアで儲けるためのアドバイスを行い、伴走支援を行っています。行列のできる相談所として開設当初から相談がひっきりなしの状況となっています。

 広陵町は優良農地も多くあり、消費地にも近い立地環境にもかかわらず、農業の後継者が育っていない状況でした。農地を消極的に守るだけでなく、儲かる農家を育てていこうと、「農業塾」を立ち上げ、元農業大学校校長を塾長に招聘し、イチゴ、なす、野菜の栽培技術の指導と、自立支援を行っています。イチゴの栽培実習のため、町でイチゴの高設栽培実習ハウスを3棟設置して貸し付け、実習を重ねて自立につなげています。奈良ブランドの「古都華」は大人気で、栽培面積も大きく伸びています。

 住宅地としても人気があり、少しずつではありますが、人口の増加も続いています。四季を通じて花が楽しめる県立馬見丘陵公園があり、かぐや姫の里をアピールする町立の「竹取公園」があり、家族連れを中心に、年間合わせて100万人を優に超える来場者があります。

 広陵町の住環境は素晴らしいと自負していますが、公共交通機関が少なく、自家用車に頼る状況です。今、高齢化を見据えてコミュニティバス「広陵元気号」の再編、自家用有償運送の導入、自動運転の実証運行、地域での支え合いなども進めています。

 自治基本条例も住民参加で制定し、地域ごとの状況にあった町づくりを進めるため、区、自治会ごとに「地域担当職員」を任命、行政を身近に感じていただく取組も行っています。

 単純ですが「豊かな町」「安全な町」「元気な町」を目指して、これからも町民の皆さまとの協働の町づくりを進めたいと思っています。