愛媛県伊方町長 高門 清彦
井上陽水の曲に「人生が二度あれば」という歌がある。「父は今年二月で六十五……」で始まる歌である。私が初めてこの曲を聴いたのは高校生の頃だったと記憶している。何となく心魅かれ、印象に残る曲だった。
あれから半世紀近くが過ぎ、私もこの歌詞の通り今年で65歳を迎える年となった。この間、自分なりにさまざまな経験をさせて頂いたと思う。
大学を卒業して、派米農業研修生として渡米。2年間の農業研修を終え帰国。その後、家業の柑橘農家の後継者として就農。何とか地域にも慣れ落ち着いてきた頃、突然の父の死去。あれよあれよという間に当時現職の県議会議員であった父の後継者となり、県議に初当選。弱冠28歳の若造が、何も分からないまま政治の世界に飛び込み、結局県議生活5期19年間を務め、その間数々の貴重な経験をさせて頂いた。
その後、地元の町が混乱を極めている状況に直面し、この町を立て直すのが自分の使命だとの思いで、町長選挙に挑戦するが、力不足により惨敗。
もうこれで自分の政治的な役割は終わったと、本来の柑橘栽培に専念し、10年間が経過した頃、突然の転機がやってきた。現職町長の病気辞職により、白羽の矢が私に向かってきたのである。一度政治から離れた自分にとって再びこの道に帰るべきか、随分と悩んだ挙句、再度決心し、幸いなことに町民の信任を得て、現在2期目を務めさせて頂いている。
我ながら、本当にさまざまなことがあった人生だと思う。ただありがたいことに、良き伴侶と3人の子どもに恵まれたことは、私にとってのかけがえのない宝物である。
こうして、改めて自分の人生を振り返ってみると、あの時ああしていればとか、あの決断は正しかったのだろうかとか、考えさせられることは沢山ある。もし人生が二度あれば、自分はどんな道を歩むのだろうかと、ふと考えてみたりする。
しかしながらそんなことはしょせん歌の世界の夢物語であり、結局のところは、仏教詩人であり、癒しの詩人と言われる坂村真民先生の詩のように「二度とない人生だから」に行き着くのかなと思う。
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでいこう
(中略)
二度とない人生だから
戦争のない世の
実現に努力し
そういう詩を
一遍でも多く
作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる
若い人たちのために
この大願を
書きつづけてゆこう
人口8、500人程度の小さな町で暮らしている自分でも、時代の大きな変化の真っただ中にいると痛感させられる。
過疎化、高齢化、少子化は加速度的に進んでいる。このままでは消滅する集落が次々と発生してしまう。
町長として何とかしなければ。焦りにも似た感情が沸き起こってくる。まさに後に続く世代のために、自分の二度とない人生を精一杯燃焼しつくさねばと痛切に感じる昨今である。
遠くに目標を定めながら、しっかりと足元を見つめ、着実にしかも大胆にさまざまな知恵を結集して、この困難な時代を切り拓いて行きたいと痛切に願っている。