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吉備高原からの挑戦

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年2月20日

山本 雅則岡山県吉備中央町長 山本 雅則
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“令和3年3月4日。岡山県中央部の高原地帯に位置する人口約1万人の小さな町である吉備中央町が、国の「スーパーシティ型国家戦略特区」の選定過程で新設した「デジタル田園健康特区」に内定し、全国のスマートシティ・スーパーシティ関係者を驚かせた。「デジタル田園健康特区」はスーパーシティ型と並んでデジタル田園都市国家構想を先導するプロジェクトと位置付けられ、当初から「圏外」とみられていた吉備中央町の「抜擢」は意外感を持って受け止められた。

「デジタル田園健康特区」の選定から3か月後。吉備中央町は再び全国の自治体関係者を驚かせた。全国で6自治体しか選定されず、「最難関」とも言われていたデジタル田園都市国家構想推進交付金のTYPE3(リーダー型)事業に採択され・・・”と日本経済新聞系列の日経グローカルに掲載されました。

吉備中央町は、平成16年に加茂川町と賀陽町の2町合併で出来た11、000人の町です。40年ほど前に2町にまたがり「人間尊重」「福祉優先」の計画人口3万人の吉備高原都市構想がありました。国のテクノポリス構想の波にも乗り、当時の計画では、岡山市街と岡山空港そして吉備高原都市を結ぶ新交通システムも計画され、一躍時の地域となり、昭和62年に売り出された第一次分譲地の競争率は40倍を超える熱気を帯びた抽選会でした。しかしながら、岡山県の財政事情が逼迫し、構想の半ばで事業凍結が決定され、吉備高原都市構想の完成をみることはありませんでした。

当時、旧賀陽町役場に勤務していた30代の頃、県庁内の吉備高原都市構想を担当する部署に出向しており、町民の多くが希望にあふれ吉備高原都市に未来を託し、心躍らせワクワクしていたのを鮮明に覚えています。

私としては、もう一度あの時のように、ワクワクするような町を目指したいと意を決して今回の特区申請に挑みました。

実現したい地域の将来像は、デジタル技術を活用して地域のさまざまな課題の解決を図り、誰一人取り残さないエンゲージメントコミュニティの創生と、それによる住民のWell-being向上です。現在、岡山大学と包括協定を締結し「臨床研究中核病院」である岡山大学病院を中心に、県内外の企業や金融機関による「産・官・学・金」の連携で事業を進めています。そうした中、デジタル田園健康特区事業を進めていくうえで最も重要だと捉えていることは、事業の主人公である町民に、さまざまな課題解決におけるデジタル技術の必要性、ビッグデータの活用とそのセキュリティを丁寧に説明しなければならないということです。

「行くも地獄、行かぬも地獄」

これは、当初スーパーシティ型特区の申請に向けて多忙な準備をしている中で、あるメンバーから出た言葉です。これだけ「産・官・学・金」がそろって「オール岡山」のような体制で、心血注いだ申請が認定されなかったときの気持ちと、多くの先行都市や大都市がライバルとなる中で、特区認定された後の不安と待ち受ける大きなプレッシャーを表わした言葉です。

今回、吉備中央町は大きなまちづくりのチャンスを頂きました。吉備中央町の取組が、全国の多くの課題を抱える中山間地域のモデルになれるように取り組んでいきたいと思います。