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論語に魅せられて

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年1月30日

小菅 一弥栃木県壬生町長 小菅 一弥
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子の曰く、学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや。朋有り遠方より来る、亦た楽しからずや。人知らず而るを慍らず、亦た君子ならずや。

壬生町は、栃木県央南部に位置する人口38、600人、面積60㎢、卵型のような形の町である。さて、江戸時代の壬生は、日光社参の際に〈徳川家の宿館〉の歴史を有するところである。そのためか教育には熱心な土地柄であり、今は「論語教育」に力を注ぐ。論語というと、栃木県においては足利学校のあった足利市が有名であるが、私の町でも教育に活かせると思いチャレンジした。

まずは、前教育長 (故)落合範子氏が小学校の校長先生に掛け合い、論語を児童に覚えさせることに取り組んだ。いわゆる朗誦である。数多い論語の中から18章を選出し、「壬生論語古義抄」として冊子を作り、大人から子どもまで朗誦に励んだ。大人向けには、町の歴史民俗資料館で定期的に塾を開き、朗誦とともにその論語の持つ意味にも知識を深めていった。

一方、子どもたちは、暗記した者から校長室に入り朗誦する。8校ある小学校の中で各学校の校長先生が試験官となり、合格・不合格を判定する。

そのような取組を半年近くやっているうち、ある小学校の保護者から、「町長、論語教育は素晴らしい」と声を掛けられた。うちの子が普段なかなか話のできない校長先生に「朗誦よくできたね。頑張ったね」と褒められたと言って目を輝かせて帰ってきたというのである。

この話を聞いた時、論語教育は間違いではなかったと論語教育に対する期待が確信となり、その後の論語教育にもさらに力を注ぐことになる。わずか10年前のでき事である。

そして、論語教育を始めてから数年経過したある日、こんな話が舞い込んだ。壬生町で藩校サミット大会を開催してみないかというものである。この大会は一般社団法人漢字文化振興協会が中心となり、今まで大都市だけで開催してきた大会を三万石の壬生町で開きたいというのだ。これには私たちも驚いたが、全国に壬生町の名を知ってもらう絶好のチャンスと思い、大会開催を引き受けた。

しかしながら日本はコロナ禍で、令和2年の開催を1年延期し、令和3年に「第18回全国藩校サミット壬生大会」として開催した。大会のプレイベントとして、「町民千人の論語大朗誦 ギネス世界記録に挑戦」というイベントを開催。748人が暗唱できたという記録で、ギネス世界記録を達成し、大会本番に向けて勢いも付けた。そして大会はコロナ対策を万全にして実施し、大成功を収めた。

この一連の教育が、後の小・中学校オンライン授業、GIGAスクール事業へとつながる一体感を生んだ。近隣市町の教育関係者からは、「オンライン授業は授業じゃない。児童の心の発達が不安だ。対面が本当の教育だ」と言われたが、私は耳を傾けることはしなかった。

なぜなら論語教育が浸透していたからだ。「子どもたちなら大丈夫。オンライン授業もコロナも乗り切ってくれる!」と。それでも心配で授業の様子を見に行くと、PCの得意な児童が不慣れな児童の手助けをしながら授業が進んでいく。先生も1人では手に負えないので、積極的に児童の力も借りて授業をしている。リモート授業においては先生方の頑張りに驚いた。3人1組になり、授業を行う先生、カメラを回す先生、教材の準備を進める先生と、3人がより分かりやすく、楽しい授業を配信しようとチームワークを発揮していた。

子の曰く、三人行えば、必ず我が師有り。其の善なる者を択びて之に従い、其の不善なる者は而も之を改む。

まさに論語が教育の土壌づくりをしたと思っている。児童ばかりでなく、指導する先生側にも影響を与え、素晴らしい好循環を生んだ。

今、町は平成27年に70 haの産業団地に工作機械メーカートップ企業のファナック社が進出を決定し、新たな町の財政の柱を担っている。そして令和4年には、会員制倉庫型店舗コストコが栃木県初出店をこの町で果たし、さらに勢いを持った町となった。

常に私は論語の「子の曰く、故きを温ねて新しきを知らば、以て師たるべし」を口ずさんでいる。いわゆる温故知新である。前町長、また歴代の町長たちは何を目指したのか。その考えや経過を辿ることにより次が見えてくる。そしてそこには職員の作り上げてきた総合振興計画がある。時代を先取りし、その指針を住民に浸透させてきた。本町職員は大変有能である。そんな職員に助けられ、活力あるまちづくりに励んでいる。住民・行政・議会と三位一体で力強く進んでいるこの町を注視していただきたい。

子の曰く、之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。