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逆境こそ成長の糧

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年10月24日

平野嘉也和歌山県高野町長 平野 嘉也​​

 

高野町は、平安時代の弘仁7年(816年)に弘法大師空海が修行の場として開いた真言宗の聖地「高野山」を中心とする町で、貴重な文化財・建造物・名所が数多く存在します。

昭和33年に1町1村が合併して誕生した町で、平成30年に町制施行90周年合併60周年を迎えました。高野町は紀伊山地の北西部に位置し、高野山は標高825mあり、和歌山でありながら夏は涼しく冬はとても寒さが厳しいところです。

町の中心地である高野山は、1200年の歴史を持つ豊かな歴史・文化と自然環境が一体となった地域で、開創以来高野山は金剛峯寺を中心とし、地域住民の生活と一体となった町並みを形成してきました。

高野山=金剛峯寺境内は117の塔頭寺院、郵便局や金融機関、警察、町立の学校、スーパーや飲食店等の事業所や民家があり、寺の大きな庭の中に多くの機関が立ち並ぶ文字通りの寺内町であります。2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録され、日本のみならず世界中から多くの参拝客や観光客が訪れるようになりました。特に近年はインバウンドのお客様が宿泊者総数の半数にまで迫り、また五輪や万博に向けてどこまで来町者(交流人口)が増加するかなど観光行政としては正直鼻息が荒い状況でした。しかし2019年からのコロナ禍により本町の観光業は大きな打撃を受けています。

私はその高野山に生まれ育ちました。実家は薬剤師の多い家系に生まれ、当たり前のようにその道に進み、40歳を過ぎるまで町立病院の薬剤師として仕事をさせていただきました。地元では色々な青少年育成関係の団体から声をかけていただき、活動を通じて世代を超えた多くの友と繋がれたことに感謝するばかりです。

町長に就任したその年に日本創生会議に消滅可能都市と言われ、地方創生総合戦略の策定に取り掛かったのが思い出されます。人口減少やそれに伴う少子高齢化は多くの自治体での共通課題です。本町は平成7年頃を境にその傾向が大きくなり、最近は少し減少スピードも緩やかになってきましたが、何かと便利な町外への転出や自然減が多く、増加に転じるのはまだまだ夢であります。移住定住策が言われる中、先ずは安心して定住できる環境づくりに重きを置いて進めております。

最近ようやく子育て世代の移住者もあり、ある地区においては休校していた小学校を分校として開校し、さらには中学校再開の要望が出てきました。とても重たく嬉しい案件です。子どもの声が途切れ、消滅寸前のあきらめ感が多かった地区が少しずつ元気になっている状況に、希望の光が見えたような気がします。

そのような高野町ですが、子育て支援にも力を入れており、医療費助成や、就学時から中学卒業までの義務教育にかかる経費の完全無償化(給食、教材、遠足に修学旅行等)をはじめ、現在は英語教育に力を入れております。英国の公的機関「ブリティッシュ・カウンシル」と連携し小学校から中学校卒業時までの9年間で、すべての子どもたちが英語を話せる力を身につけることを目標に、令和3年度から4年間をかけ町独自の英語カリキュラム作成と、その指導にあたる人材の育成を行っています。高野町で教えたい、高野町で教育を受けたいと思われる環境づくりに現在取り組んでおり、少しでも今後の定住・移住につながればと期待しています。

先ずはコロナ禍を乗り越えていくという意味でも、再び多くのお客様にお越しいただき、以前の賑わいに戻るよう関係機関と共に取り組んでまいります。来年は「宗祖弘法大師御誕生1250年記念大法会」が5月から約2か月間執り行われ、2024年には世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録20周年、2025年には「大阪・関西万博」と本町にとって大切な3年間が始まります。国内外から多くの方にお越しいただき、高野山を通じて日本の歴史・文化を知っていただきたいと思います。

コロナ禍で今まで見えなかった物事が多くあぶり出されました。それらに一つ一つ丁寧に対応し、逆境を町の発展の糧として、町民全員で歩んでいく所存であります。