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「いちゅいゆんたんざ 創造・協働・感動」の村づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年10月10日

石嶺傳實沖縄県読谷村長 石嶺  傳實​​

 

読谷村は沖縄本島中部の西海岸に位置する村土面積37㎢、人口41、800人の日本一人口の多い村です。「いちゅいゆんたんざ」とはウチナーグチ(沖縄方言)で「勢いのある読谷村」という意味です。我が村をワンフレーズで示す名称で、本村はまさに多くの宝に囲まれ、ポテンシャルに満ちあふれた村です。

第2次世界大戦時、米軍の沖縄本島上陸地点となり地上戦により一木一草が焼き尽くされ、その後、米軍統治が27年間続きました。

沖縄が本格的に戦後復興に取り組んだのは1972年の日本復帰後です。復帰時においては村域の75%が米軍基地に占有されており、現在でも32%の米軍基地が存在します。復帰後の基地返還運動の取組とその跡地利用が村づくりの大きな課題でした。復帰先地集落整備事業や土地改良事業等、さまざまな事業により社会基盤の整備を進めてきました。

2006年には本村の中央部に位置する255haの読谷補助飛行場跡地が村有地と国有地の等価交換により返還が実現しました。ご尽力をいただきました多くの政府関係者の皆さまに感謝申し上げます。当該地区の約3割は村民センター地区として役場庁舎、文化センター、野球場、多目的広場、陸上競技場、健康増進センター、ソフトボール場、パークゴルフ場等が完成し、今年より総合情報センター(図書館、ホームセンター等)整備に取り組んでいます。残りの約7割は農業基盤(土地改良・かんがい排水事業)整備が実施され、甘藷、小菊、ニンジン、マンゴー等の栽培が行われております。

平成12年に世界遺産に登録された座喜味城跡など歴史や伝統文化が息づく村でもあります。故金城次郎氏(陶器)、故與那嶺貞氏(織物)、玉那覇有公(紅型)の3人の人間国宝を輩出し、現在でも伝統技法を用いた13連房の大型登り窯をはじめ70余の窯元が作陶に励む伝統工芸の盛んな村です。

また、本村の漁業は小規模の沿岸漁業が主体ですが、定置網漁体験やジンベエザメダイビング、グラスボートなど観光体験ツアーに取り組んでいます。

サンセットが美しい西海岸沿いにはロイヤルホテル沖縄残波岬、ホテル日航アリビラ、ウザテラス、ホテルむら咲むら、星のや沖縄など多様な宿泊施設が立地しコロナ禍前の平成31年度の観光入込客数は188万人を数えます。スポーツキャンプも盛んに行われ、ラグビー10チーム、女子ソフトボール5、野球4、サッカー3、パラ日本代表陸上陣など合計26チームの各種競技団体が読谷合宿を実施し活況を呈しました。

私自身も読谷高校でラグビーと出会い、現在は沖縄県ラグビー協会顧問として携わっていますが、毎年行われる7人制男女日本代表や2019ラグビーW杯アメリカ代表合宿、また2020東京オリンピック男女NZ代表が交流会や練習後に本場のハカを披露していただくなど至福の時間を過ごしました。

今年度もラグビー男女日本代表や女子ソフトボール日本代表、その他にも多くのチームが訪れます。

また、コロナ禍での経済振興策の一環で、よみペイ(地域通貨)を発行し村内300店舗でキャッシュレスで買い物ができる仕組みを構築しています。

毎年、10月末の金・土・日に行われる読谷まつりでは、各自治会による伝統芸能や村文化協会、児童生徒等、総勢8、000人が出演する舞台発表等があり多くの人々でにぎわいます。

これからも「いちゅいゆんたんざ 創造・協働・感動」の村づくりに村民とともに取り組んでまいります。

新型コロナウイルス感染症が終息した後には多くの国内外の皆さまの来村をお待ち申し上げます。