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第2次香美町総合計画に向けて

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年9月5日

浜上勇人兵庫県香美町長 浜上  勇人​​

 

香美町は平成17年当時の香住町、村岡町、美方町が合併した兵庫県北部の町です。私は昭和37年に香住町で生まれました。我が家は二十世紀梨を生産する果樹園芸農家であり、昭和30年代の終わり頃からは観光需要の高まりもあり、夏は海水浴の観光客の皆さまを泊める民宿を始めました。農繁期になると袋かけ作業に多くの人夫さんが泊りこみで来られ、近所の皆さまにもお願いし、大変にぎやかな家庭だったことをおぼろげに覚えています。全部で1ha以上、4か所の果樹園があり、日中には姉や妹弟と過ごすなど、留守番が多かったように思います。今と違って子どももたくさんおり、周辺の子どもたちと野山を駆け巡り自然とともに成長しました。小学校高学年ぐらいになるとお小遣い欲しさもあり父母に請われて袋かけ作業を手伝ったりもしました。高校卒業後は都会生活への憧れもあり、京都市内のホテルで3年半余り働いていましたが、長男であったこともあり、当時から将来的には家業を継ぐことは決まっておりましたので昭和59年に帰郷しました。帰郷後は消防団員としての活動や商工会や観光協会の青年部員として地元産業に携わる方と積極的に親交を深め農協や漁協等、町内産業に関わる多くの皆さまからさまざまなことを学びました。当時、父は香住町議会議員をしており、我が家は曾祖父の時代から議員を務めておりましたので自然と政治や地方行政にも関心を持つようになりました。特に父は議会や役場での様子を毎日のように夕食を取りながら、その日の出来事等を話してくれていましたので、町政の動きや課題等、一町民として考えるようになりました。平成8年、病気がちだった父が任期途中で急逝し、当時34歳でしたので大変勇気がいりましたが、次の改選期に町議選に立候補することとしました。その後4期14年、議員を務めましたが後半には合併議論が高まり、数多く行われた合併協議会にも全ての会議の傍聴に参加し、議論の方向を見守っていました。当初は美方郡4町と香住町との5町合併が破談になり、最終的には香住町、村岡町、美方町との3町合併となりました。平成17年、新生香美町としてのスタートとともに新たに香美町議会議員となりましたが、合併直後には条例の整備等、さまざまな課題があり、夜中迄の本会議を開催するなど、多くの負荷がかかったことを覚えています。合併後、しばらくしてから実質公債費比率という新しい財政指標が導入され、香美町は全国ワースト7位という不名誉な状況でありましたが、当時の町長の財政健全化への取組によって危機的状況を脱することができました。平成25年、町長選挙に当たり、香美町の政策課題の実現に向けて、議員としての限界を感じてきたこと、また周りの皆さまの助言もあり町長選挙への出馬を決意しました。町長選挙では僅差ながら当選でき、大変有難く身の引き締る思いがしました。

今後の町政に求められるものは、急速な人口減少と少子高齢化の流れを少しでも抑制すること、衰退する産業を活性化させること、一方で、近年多発する自然災害に対応する防災のあり方については官民協働の考え方が重要になってまいります。ここ2年半にわたるコロナ禍の中で町民生活も大きく様変わりしました。これら刻々と変化し次々に降りかかる諸課題への対応として、私が常に肝に銘じていることは、町の予算は町民の皆さまからお預かりした町民共有の財産であり、私と職員が一緒になって考え振分けをさせていただいている、町長とはそういう役割である、この視点で町政を運営しなければならないということです。多くの町民の皆さまのどの部分に注力をするのか、一般財源には限りがあることを念頭に財政運営にも意を用い、将来の香美町の姿をイメージしつつ、幼き頃、曾祖父や父から受け継ぎ一町民として学んだ「実践的な知」を活かし、香美町の将来像である「こどもたちに夢と未来をつなぐ町」として第2次香美町総合計画に掲げた理念の実現に向けて全身全霊で取り組みたいと考えております。