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よそ者の恩返し

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年8月29日更新

本山博幸神奈川県松田町長 本山  博幸​​

 

松田町は、神奈川県西部に位置し、面積37・75㎢、人口約10、500人、東名高速道路大井松田ICが隣接し、JR御殿場線松田駅と小田急線新松田駅の2つの駅を有するなど、交通の結節点として栄えてきた町です。

【出身とキャリア】

私は、佐賀県武雄市出身です。東海大学工学部建築学科を卒業後、佐賀県内トップ3の建築設計事務所に就職しましたが2年足らずで家業の建設会社に呼び戻され建築施工現場のイロハを学び、31歳の時に家族4人、家出同然にて武雄市を飛び出し、友人知人がいない松田町に移住しました。その当時の大変さが今でも胸に刻まれています。移住後は、何よりも先に仕事を探さなくてはならず、家族を養っていくためには手段を選ぶほどの余裕がありませんでしたので、経験が無いハウスメーカーの営業マンとして就職しました。当時、私は一生のうち大切なマイホームを見ず知らずの営業マンから購入することはないだろうと考えていましたが入社60日目に初契約を結ぶことができ、入社3年目には支店長になりました。当時は子どもが寝ている時間に仕事に行き帰る日々を過ごしましたので子どもが起きてる時間に遊ぶのが唯一の楽しみでした。妻には見知らぬ土地での生活に不安を抱きつつ子育てしてくれたことに感謝しています。

【転機と町長選挙】

約7年間勤めたハウスメーカーを退職しローカルビルダーとして独立しました。いわゆる自由業となった当時、2人の子どもが少年野球チームに所属していたこともあり、コーチとして一緒に野球をしていました。中学生の時には硬式野球のクラブチームに所属し、全国大会に行くなど楽しませてくれていましたが、私は少年野球チームのコーチとして残り松田町の子どもたちの健全育成を担うことを選択し、同時に総合型地域スポーツクラブを設立し初代クラブマネージャーとしての役も担っていました。そんな頃、巷のトピックスとして町長選挙において現職以外の候補者が見つからないとの話を聞いていましたが、その状況が続く中、ビックリすることに“よそ者”である私に出馬のオファーがありました。移住して約12年間、家族を地域の皆さま方が温かく見守ってくださったことに対して、少しでも恩返しや力になりたいとの想いにて覚悟を持って快諾しました。当時は、“よそ者・若者・ばか者”が地方を変えるというキャッチフレーズが広がっていたことも追い風となり、43歳にて初挑戦し松田町の歴史上始まって以来の“よそ者町長”として初当選を果たすことができました。

【町政運営】

私が就任した平成25年度には、2040年時点において20歳から39歳までの女性人口が半減することにより消滅可能性都市となる自治体として松田町もリストアップされました。それ以来、消滅可能性都市からの脱却を目指し、持続可能な町として活気を取り戻すべく、これまでの単費支出を見直し、知恵を出して獲得した補助金等を活用して“地方創生事業”を進めた結果、当初の人口予測から700人ほど回復するまでになりました。また令和元年に第6次総合計画を策定する際にはSDGsの理念を取り入れ、令和3年に神奈川県内14町村初となるSDGs未来都市に選定されるなどこれまでの取組がカタチとして表れてきました。

【恩返し】

令和3年9月より3期目がスタートしました。公約の旗印は“チルドレンファースト”を掲げ、子どもたちが住みたい・住み続けたい町にすることで進学や就職にて一度は町外に出たとしても子育て世代になった時には松田町に戻り、祖父母や両親の近くに住むことにより結果として親子3世代が安心して暮らせる町とすることを目指しています。

これにより人口減少が抑制され持続可能な町づくりが進み、“誰ひとり取り残さない笑顔あふれる幸せのまち松田”が実現されますので、私が培ってきた経験と人脈をフルに活用し“オール松田”にて持続可能な松田町にすることによりご恩をお返ししてまいる所存です。​