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人々を魅了する島 徳之島

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年1月31日

鹿児島県町村会長・徳之島町長鹿児島県町村会長・徳之島町長 高岡 秀規​​

令和3年7月26日、徳之島を含む奄美大島、沖縄島北部及び西表島が国内で5ヶ所目となる世界自然遺産に登録されました。

日本国土の僅か0・07%しか面積を持たない徳之島が世界自然遺産に登録された背景には、数多くの奇跡の中で生き残ってきた固有種の存在が挙げられます。

時代をさかのぼること、約1、200万年~約200万年。かつて、徳之島を含む琉球諸島はユーラシア大陸や日本本土と陸続きでした。その後、沖縄トラフやフィリピン海プレートの沈み込み等の大規模な地殻変動により、大陸と切り離され現在の島々に分かれていきました。

大陸に残った種は上位捕食者の存在によりその多くが絶滅しましたが、徳之島においては、生態系の頂点に君臨する生きものがネコ科などのスピードに長けた生きものではなく、獲物を待ち伏せながら捉えるハブであったことも、多くの生きものたちが生き残った所以と言われています。

また、海面の上昇などによる環境変化では、奄美大島と徳之島においては、標高600mを超える高い山々が存在したことで、アマミノクロウサギをはじめとする多くの生きものたちが種の絶滅を逃れることができたと言われています。

島の基盤となる地層は、北部と南部で大きく異なっており、北部には古希花崗岩を中心とした1億年前後の古い層が広がるのに対し、南部は琉球石灰岩層を中心とした新しい時代の岩石が分布します。特に、南部の土壌は強酸性で粘土状をなしています。

このように変化に富んだ地質と高山を持つ徳之島は、それぞれの環境に合わせて植生も豊かでハツシマカンアオイのような世界中でもこの島でしか見られない固有種も多く見られます。また、徳之島を南限または北限とする植物も多く見つかっています。


世界自然遺産の象徴 アマミノクロウサギ

徳之島・奄美大島の2島には、世界中でもこの地域のみに暮らすアマミノクロウサギが生息しています。アマミノクロウサギは、その名のとおり黒褐色の毛で覆われており、体長は約40㎝、一般的にウサギに比べて耳が短いことが特徴で、森林での生息環境に適合するように手足は短く、急な山道を登れるよう爪がよく発達しています。

ウサギと聞くと多産のイメージがありますが、アマミノクロウサギは1回の出産で1~2頭だけ子どもを産みます。子育て専用の巣穴を作り、猛毒のハブから我が子を守るため巣穴の入り口を土で固め、2日に1度の授乳の時にだけ、巣穴を掘りおこし約30分かけて巣穴を隠します。

我が子を大事に子育てするクロウサギの姿は、多くの人を魅了しています。


自然の中で育つ豊かな心

日本が世界に誇る自然環境を守るにあたり、住民一人ひとりが高い意識を持った持続可能な社会の形成に向けては、地域に暮らす私たち人間と環境との関わりを学び、より良い環境の創造のために主体的に行動できる人材を育成する教育・学習が重要だと認識しています。

ICT・IoTでの遠隔教育やプログラミング教育に注力するとともに、子どもたちがさまざまな価値観を持って進むべき道を選択できるよう、各種分野の教育環境の整備を図り、外海離島と言うハンディを抱えながらも、聞いたことがない、やったことがない、感じたことがないから生まれる弱みを払拭しています。

また、学校教育における総合的な学習の時間を活用した地域の自然環境に関する学習を取り入れ、身近に暮らす生きものの関係性や種の多様性を学び、環境との繋がりを意識できる子どもを育成するとともに、子どもたちの環境保全活動に対する自主性を高めています。


黒糖から見える奄美群島の歴史

サトウキビによって作られる黒糖。その誕生は古く1、600年代初期にまでさかのぼり、中国の福建省から持ち帰った製造技術によって生産が行われるようになりました。

江戸時代、奄美群島は薩摩藩の支配下に置かれていました。藩による取立ては非常に厳しく、米や野菜の畑はサトウキビ畑に変わり、黒糖の生産に向けた過酷な重労働を強いられました。薩摩藩は奄美群島で生産される黒糖販売の収益を用いて大砲や弾薬を製造し、軍備の増強を図りました。薩英戦争や明治維新等の華やかな歴史の裏には、奄美群島民の支えがあったことが窺い知れます。

第二次世界大戦後、奄美群島は一時アメリカ軍の統治下となりました。奄美群島と日本本土の物流が制限される中、黒糖は島民にとって貴重な収入源となりました。

1953年、奄美群島が日本に返還されると、政府は奄美群島の振興支援策として酒税法を改正し、米麹の使用を条件に奄美群島のみでの黒糖焼酎の生産を認めました。

以降、黒糖と黒糖焼酎は奄美群島の特産品となり、長い歴史が生んだ産物となりました。

先人たちが繋いだ自然や文化を絶やすことなく、次の世代に引き継ぐことが今を生きる私たちにとっての責務だと実感しています。