ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村長随想 > 「人が輝き 誇れるまち」であり続けるために

「人が輝き 誇れるまち」であり続けるために

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年10月11日

山形県高畠町長山形県高畠町長 寒河江 信​​

高畠町は、山形県の南東部に位置し、奥羽の山なみ深くに源流をもつ屋代川・和田川の扇状地に拓け、総面積180・26㎢を有する稔り豊かな町です。縄文創生期である12、000年前より人々が生活しており、貴重な古墳や洞窟岩陰群が点在し、その風光明媚な様子から「まほろばの里」と呼ばれています。

春には桜や菜の花が野山を包み、夏には山際の田んぼにホタルが飛び交い、秋になるとブドウ園やのびやかに広がる水田の稲穂が黄金色に染まります。そして冬には、深い雪に覆われながらも、人々の熱気があちらこちらに現れる、そんな町であります。

そのような風土と生きとし生けるものを慈しみながら、長い歴史を紡いできた先人の生き方は、全国に先駆けて取り組んだ有機農業活動に花を咲かせ、そして日本中の子どもたちが愛読する愛と善意の童話作家浜田広介先生を生み出しました。

さて、はじめに私の生い立ちから現在の活動に至るまでをご紹介させていただきます。私の家は、今年で創業154年をむかえる旅館を営んでおります。私の父も祖父も30代で亡くなり、そして私が中学生の時、木造三階建ての旅館を焼失し、長男として家業である旅館を継ぎました。以来、地元の同世代の友人、知人と交流の輪を広げ、青年会議所理事長や商工会青年部長を務め、それらの経験を通じて、「若者が住みたくなるまちづくり」をテーマに活動を重ねてきました。

中でも印象に残っているのは、「山形新幹線」の停車実現に向けた要望活動があります。今から約30年前になりますが、「山形新幹線」の開業が決まり、当時、無人駅であった糠野目駅に新幹線が停車しないという方針を聞き、町の将来に不安を抱きました。当時の商工会青年部、青年会議所のメンバーが中心となり、糠野目駅停車実現に向け、勉強会や協議を重ね、仙台市にあるJR東日本東北支社まで、その想いを胸に自らの足で走ってリレーでつなぎ、要望活動を実行しました。このように町民が一丸となった行動により、私どもの想いをご理解いただき、停車が実現し、目的を達成することができました。このことは、当時の若者たちにとって大きな自信となり、今でも強烈に思い出されます。また「山形新幹線」が当町に停車することにより、その後の町の発展に大きく結びついたことは言うまでもありません。

その後、私は町議会議員、山形県議会議員を経験させていただき、町長に就任して16年目をむかえます。就任当時は財政が厳しく、特に赤字続きであった公立高畠病院の経営改善化に向け、大幅な人事異動を発令し、体制の強化を図りました。また、医師の確保に奔走し、病院事業管理者に民間出身者を登用するなど企業目線での改革を実行しました。その後、医師や職員の理解と協力などもあって、町民の方からも「高畠病院は変わった」との評価もいただくようになり、2014年度には黒字に回復しました。

また、中学校統廃合も力を注いだ施策の一つです。町内に4校あった中学校を全て廃校にし、統合する形で2016年に1校を新設しました。子どもの出生数の傾向とより充実した学習支援を考慮しての決断でした。「子どもたちが望む環境をできる限り整えたい」との思いから、新設校には全天候型の陸上トラックや人工芝のグラウンド、テニスコートなどを整備しました。コロナ禍の中ではありますが、各大会で子どもたちがのびのびと存分にその成果を発揮してくれているのが、最高の喜びです。

さて、近年は新型コロナウイルス感染症拡大や大雨による災害等、どの自治体においても多くの課題に直面し、その対策に全力で取り組んでおられます。そのような中、当町には、先人から受け継いだ文化や伝統、縄文より悠久の時を経て育まれた地域資源、先駆的な取組が生まれる気風など、他所にはないかけがえのない多くの財産に恵まれています。それら一つひとつが当町の未来のために強く結びついた時、あらゆる困難な課題を突破する大きな力になるものと確信しております。これからも「人が輝き 誇れるまち」であり続けるために、まちづくりに尽力してまいります。