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山は、安住の地 生涯の地

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年8月2日

宮崎県諸塚村長宮崎県諸塚村長 西川 健​​

明治40年に「林業立村」を村是として、現在に至っている諸塚村です。

村是が示すように、九州山脈の中央に位置し、1、000m級の急峻な山々に囲まれ、面積187㎢、95%を山林が占め、人口は1、450人ほどの山村です。

平地や農地は僅か約1%しかなく、山腹谷間に集落が点在し村を構成しています。

私は現在、村の中心部に居を構えていますが、中心部から約12㎞遡った5戸程の集落から少し離れた、谷間の1軒家で生まれ育ちました。

家は川のすぐそばで、周りは少しばかりの田畑、そして山に囲まれ、見上げれば狭い空です。

若い頃よくぞまあこんな所に生まれたものだと思ったものです。今は住家はありませんが小屋を建て、休みともなれば周りの草刈りや薪作りなどに精を出し、至福の場となっています。

諸塚村は、古から木材・椎茸・子牛・お茶生産を4大産業として、それらを組み合わせた、複合経営で生計を維持してきています。近年は高冷地を活かした施設園芸にも取り組み、ミニトマトや花卉類生産が順調で、5大産業となっています。

私の家は、椎茸栽培が生計の柱でありましたが、牛は1頭、田畑は自給用程度の複合経営でした。豊かではありませんでしたが何とか生活でき、今があることに親や地域の人たちに感謝しています。

幼少期から、秋から春にかけての山仕事の時期は、日曜日ともなれば、父に連れられ背負カゴに弁当・水などを背負って、急峻で曲がりくねった山道を息を切らしながら通ったものです。

今こそ山のてっぺんまで車道がありますが、当時はなく全て歩いてのことで、特に椎茸採取時期は、もっぱら運び役で遙か山中にあるほだ場から、重い生椎茸をカゴに背負って、1日に何回も肩の痛さをこらえ家まで運んだものです。

元気いっぱいの子どもの頃、若いときといえども、夕方にはくたくた、風呂に入って夕飯を食べてすぐ寝るだけでした。

山・田畑の仕事と、何でもさせられたものです。多くの体験は、農林業に携わる人たちのご苦労というものの理解につながり、私の歩みの貴重な糧となっています。

いつの頃から子どもたちが山や川で遊んだりすることがなくなったのでしょうか。今はそれがかなわない時代になっていることは確かです。

私自身は春夏秋冬、山に川に遊び、山幸・川幸にも恵まれた中で、色々体験しながら育ったせいか、今も山猟・川猟が生活の一部として続いています。

農林漁業の衰退が長く懸念されていますが、その度合いはますます深刻化しています。

世の人口減少もさることながら、長引く産物の価格低迷や労働条件などさまざまな要因が考えられますが、後継者・担い手確保が非常に厳しい状況です。

山や農地があり、家もしっかりした生活基盤がありながら、後継者がよそで働いていて不在という状況は、個々の考えや家庭の事情等があるかと思いますが、私からすると本当にもったいない。

今、コロナ禍のまっただ中にあって、働き方改革・ITの加速化等が進められています。そのことは農林漁業の振興や私たちの生活に寄与するものであり、大きく期待しますが、農林漁業は多くの人手や五感をもって取り組まなければならず、人が頼りなのです。

行政に携わる者として、最大の悩みは人口減少対策です。国・県の対策支援や独自の施策をもって、ハード・ソフト交えて取り組んでいますが、抜本的な対策とならず悩みは尽きません。

諸塚村は、行政による施策だけでなく、自治公民館活動による、村民総参加で行政や関係機関と密接に連携して、村づくりに取り組んでいます。

人口は少ないですが、地域を担う人材の質は高く、地域の実情に即した施策を効果的に積極的に取り組むことが可能です。

この取組を更に磨き上げるとともに、新たな価値を付加し、村の魅力向上を図ることで、村づくりを推進します。

長い年月を経て集落・山・川と周りの自然も景色も様変わりしました。

憂いも多く募りますが、農村・漁村・山村には都会にない空間や時間など多くの良さがあります。

世界農業遺産「高千穂郷・椎葉山地域」に属し、※FSCⓇ森林認証の村として、山を健全に育て環境を保全し、村は国の原点であるという思いと不屈の気概をもって、人々が心豊かに生き、次世代に引き継いでいければと思っています。

山は、私の安住の地であり生涯の地です。畏敬の念をもって山に生きます。

2期目の任期も残り2年弱、しっかり任務を果たしたいと思います。※FSCⓇC012945