岡山県勝央町長 水嶋 淳治
勝央町は、岡山県の北東部に位置し、昭和29年に一町四村が合併して誕生しました。面積は54・05㎢、現在の人口は1・1万人ほど。その昔、町の中心部である勝間田地区は、大和と出雲の国を結ぶ出雲街道の宿場町・美作七宿のひとつとして栄えました。その当時より自然豊かなのどかな農村地帯であり、農業が主要産業で稲作が主でした。農業生産の増大を図るため、昭和42年度にスタートした国営開拓パイロット事業美作台地開発による開墾畑地(町内329ha)が、酪農業やもも・ぶどうの果樹、葉たばこ栽培などの経営規模を飛躍的に拡大させました。
更に、大きく町の産業構造に変化をもたらしたのが、地域振興整備公団が造成した内陸工業団地構想による勝央中核工業団地(当初の計画面積100haのインダストリアル・パークが、昭和54年に完成。その後、民間事業者と同公団の増設工事により現在は約160ha)です。その分譲開始と同時期、中国縦貫自動車道の工事が進む中、中四国・九州方面の生産、物流拠点として注目され、順調に企業が立地しました。現在、27社が操業、従業員約2、900人、工業出荷額約1、500億円で地域経済、地域振興に大きく寄与しています。そのことにより、農・工・商のバランスが取れた町づくりが進みました。結果、勝央町誕生後の最少人口であった昭和55年の10、382人から増加に転じ、平成7年には11、669人までになりました。その後、全国的にもそうですが、わが町も高齢化が加速し、人口は減少傾向です。しかし、18歳未満はどの年齢においても105人ほどを維持し、子どもの人数が減少していません。子育て支援の充実やお母さんの居場所づくりなどが好評で、住みやすく子育てしやすい町との評価を得て、若い子育て世代の転入がその要因と考えられます。
勝央町が住みやすいとされるのは、「晴れの国おかやま」にあって、その中でも自然災害の極めて少ない地域であることもそのひとつです。安全・安心が求められる昨今、安全に穏やかに暮らせることのメリットが移住促進に大きく作用しています。そして、民間活力による分譲住宅や集合住宅の提供も好評です。また、私が町長に就任して以来、一貫して地域コミュニティの重要性とその強化に傾注しました。平成の合併をしなかったことで逆に、住民の間にも「自分たちのことは自分たちでやるんだ。」という協働の機運が芽生え、地域の一体感が育成され強まりました。そして、地方創生による転入・移住者に対する優遇措置に偏りすぎないよう、元々その地域に暮らし、その地域を守り育ててきた方たちへの心配りも大切にしています。私の地域振興、住民サービスに対するモットーのひとつに「忘れ物をしない。置いてきぼりをしない。」があります。そうした取組により、新規就農者などの移住者に対しても温かく迎え入れ、協力し合う関係づくりが生まれています。移り住んでこられる方々も何となく「ほどヨイ!田舎」の雰囲気や住みやすい匂いを感じておられるのかも知れません。
まちづくりのキャッチフレーズにも「ほどヨイ!田舎 えーがん勝央」を掲げて、協働のまちづくりを推進しています。因みに「ほどヨイ」の「ほ」は「ほっとできる暮らしと自然」。「ど」は「どきどきする出会い」の場。「ヨ」は「ヨチヨチ歩きからしっかり支援」。「イ」は「インフラばっちし」といった意味合いです。
勝央町は、コンパクトのなかに豊かな自然と文化が宿り、人情味に満ちたコミュニティがあり、子育て、教育、医療、介護、高齢者福祉、産業、生活の利便性、安全・安心など地域の総合力で他に引けを取らない町と自負しています。新型コロナの早期収束を願いながら、今後とも「ほどヨイ!田舎」を前進させ、豊かで住みよいまちづくりを進めてまいります。