ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村長随想 > 「つながり」から生まれるもの

「つながり」から生まれるもの

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年4月19日更新

日野康志町長大分県九重町長 日野 康志​​

九重町は大分県の南西部、標高1、700m級の山々がそびえる九重連山の麓に位置し、広大な町の面積の約8割を山林・原野が占めており、さながら緑の宝庫と言えます。四季折々に表情を変える自然は、「春は黒(野焼き)、夏は青(新緑)、秋は赤(紅葉)、冬は白(雪)」と表し、色のとおり年間を通して自然に親しむことができます。今年8月には、第5回「山の日」記念全国大会が大分県で開催され、本町はメイン会場となります。また、豊富な地熱資源により、九重“夢”温泉郷と称する温泉群を有し、町内のいたるところで温泉を楽しめます。また、国内最大の地熱発電所もあり再エネ電力自給率は日本一、そして、2006年10月にオープンした九重“夢”大吊橋は、歩道専用として『日本一の高さ』を誇る、農業と観光の町です。

このような緑の町に、令和2年7月6日、突如として自然の猛威が襲いかかりました。「令和2年7月豪雨」です。この時、7月6日から8日にかけて、1時間に100㎜を超える記録的な豪雨が3回にわたってあり、特に7日の24時間雨量は、役場庁舎裏に設置している雨量計で374㎜を記録しました。このような線状降水帯による集中豪雨により、河川が氾濫、山腹崩壊による土石流も発生し、多数の住家被害が発生しました。

その数は、全壊7件、半壊80件に一部損壊、床上・床下浸水を含め196件にも上り、その他にも、河川、道路、橋梁、農地への災害など、被害は町内の広範囲に及び、その被害総額は117億円にも上る甚大なものとなりました。今回、幸いにも人的被害はありませんでしたが、農業と観光を基幹産業としている本町において、その基盤である農地や農業施設、また、観光・宿泊施設に大きな被害を受けたことは、町の根幹に関わる大問題です。

さらに、これに加え、世界的な厄災とも言える新型コロナウイルス感染症の大流行が発生しました。令和2年1月に国内で新型コロナウイルスの感染が確認されてから1年が経ちましたが、令和2年4月の1度目の緊急事態宣言以降、第2波、3波と拡大の波は続いており、今年1月には11都府県に2度目の緊急事態宣言が発出されました。このような中、2月からは医療従事者等へのワクチンの接種が開始され、高齢者の接種は一部の市町村で4月から実施される予定ですが、未だ収束の兆しは見えず先行きは不透明な状況です。

今回のような厄災は歴史の歯車を大きく進めてしまうと言われますが、新型コロナは、私たちの社会経済活動、日常生活の形態を一変させるとともに、経済・社会構造の見直しが迫られているのも確かと言えます。

日常生活における例で言うと、ソーシャルディスタンスやマスクの着用などの「新しい生活様式」、3密の回避といったものです。働き方ではテレワークやオンライン会議、経済では非接触の電子マネーによるキャッシュレス化等がその例ではないでしょうか。

このような中で、私が非常に危惧しているのが、「人と人のつながり」です。私は、まちづくりの原点は人であり、人と人とが顔を合わせて話し、お互いが理解し合い、お互いのことを考え助け合える関係こそが、信頼につながると考えています。しかし、この、いわゆる「コロナ禍」は、人とのつながりを希薄なものとし、分断させかねない状況を創りだしています。これは、身体的な距離だけのことではなく、新型コロナウイルス感染症にかかる「デマ」や「人権侵害」といった、差別や偏見による心の距離も同様です。このようなことは断じて許すことはできません。

今、日本だけでなく世界中で、災害やコロナ禍により、人々が積み上げてきた生活が壊され、不安や恐怖で途方に暮れる日常となっています。しかし、苦しい時こそ人の力に勝るものはありません。人と人がつながり、助け合い、再び歩き始めることが何よりも大切だと思います。豪雨災害の折には、町内外から駆けつけていただいたボランティアの方々との「つながり」に、大きな希望と勇気をいただきました。

今後、社会のデジタル化やイノベーションが進むことは想像に難くありませんが、どのように形が変わろうと、「人とのつながり」「ひとづくりから始まるまちづくり」を基本として、未来へ向けて種を蒔いて行きたいと強く思っています。