ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村長随想 > 小さな村の大きな躍進

小さな村の大きな躍進

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年2月15日

青森県田舎館村長青森県田舎館村長 鈴木 孝雄

田舎館村は、津軽平野の南側に位置しており、八甲田山系を水源とする浅瀬石川に潤され肥沃な土壌に恵まれた土地で、海や山もなく坂もない見渡す限りの田園風景が続く、農業を中心に栄えてきた村であります。

村内には24箇所の遺跡が確認されておりますが、昭和33年に田舎館式土器といっしょに200粒を超す炭化米が発見された垂柳遺跡は、冷涼な気候の東北北端の地において、古くから稲作農耕が行われていたことを示唆する重要な遺跡となり、昭和56年には、約4、000平方メートル、656枚にもおよぶ弥生時代中期の水田跡が発見されたことで、弥生時代の稲作がついに立証されたものであります。発見された水田跡は、平均で約8平方メートルと小さな水田ですが、水路に沿って整然と配置されていることから、現代と変わらぬ農耕が定着していたものと考えられております。また、水田跡には大人から子どもまで数多くの足跡も残されており、親子で農作業に勤しむ姿が目に浮かぶ貴重な遺跡となりました。

村では、この水田跡をいつでも見学できるよう埋蔵文化財センターを開館し、水田と水路の遺構露出展示を行っております。見学者が実物の水田に足を踏み入れ、弥生人の足跡に並び立つことで一緒に当時の風景を感じられると大変好評を得ております。是非とも、皆さまにも弥生の土に直接触れ、古代ロマンを肌で感じる旅にお越しくださるよう、心よりお待ちいたしております。

弥生時代から続く稲作は現代へと引き継がれ、私も代々引き継いだ水田が最も多収穫となることを目指し、仲間と共に日本一の稲作技術に挑戦をいたしました。全国の日本一に輝いた先進地へ出向いては指導をいただき、健苗の育成から植え方、追肥から刈り取りまで、日々農作業に明け暮れたものです。その結果、10a当たり12俵は珍しくなく、15俵の収量をもたらすまでの成果を得ることが出来ました。村内の農家でも、こうした多収穫に対する気運が高まり、村は昭和46年から10a当たりの水稲収量で日本一を連続11回も記録するなど、生産調整の時代にあっても農業の活性化が図られたものであります。

田舎館村は、県内で一番面積の小さい村でありますが、農林水産大臣などを歴任した故田澤吉郎代議士が生まれ育った地であり、故大関一ノ矢や横綱栃ノ海を輩出し、芸術や文化、教育の分野でも数多くの優秀な人材が誕生しております。しかしながら、村には観光地や観光資源が乏しく、いかにして観光分野に活気をもたらすかが長年の課題となっておりました。

そこで、役場職員の発案により、緑色の食用米と黄色と紫色の2種類の古代米を使って水田に文字と図柄を表現したのが「田んぼアート」の始まりでありますが、この色の違う稲を使ったアートが話題となり、それまで子どもからベテランまで村民が中心となって行っていた、昔ながらに手植えで田植えをする田植え体験ツアーと、鎌で稲を刈り、藁で束ねる稲刈り体験ツアーは、それぞれ、全国から1、500人を超す参加者が集まる村の一大イベントにまで成長をいたしました。参加者が描くアートは世界中から注目を集め、年々図柄が複雑になり、7色8品種の稲を植えわけ、迫力と躍動感のある図柄に進化を重ね、今ではキャンバスとなった水田が村一番の観光地となりました。

村は、役場の天守閣からアートを観覧する行列の待ち時間が2時間を超えたことから、真夏の熱中症対策のため新たに展望デッキを整備しては改善を図り、見学者を分散するため「道の駅いなかだて」に第2会場を整備しながら会場に沿って運行する弘南鉄道に「田んぼアート駅」を開設するなど、新たな観光地づくりに取り組んでまいりました。また、アートの村として、色の違う石で描く人物画「石のアート」を制作したほか、冬には一面に雪が積もった水田に人の足跡で幾何学模様を描く「冬のアート」を開催するなど、田んぼアートを中心とした観光資源の育成に努めてまいりました。この田んぼアート関連の見学者は毎年25万人を優に超え、平成27年からは34万人を超えるなど、世界中の方々が足を運んで下さり、毎年、たくさんの感激の言葉を頂戴いたしましたことは、大変うれしく心から感謝を申し上げます。

今年度は残念なことにイベントは全て中止となりましたが、人々の笑顔と元気を取り戻すため、新型コロナウイルス感染症の1日も早い終息と皆さまのご健勝を願い、皆さまと共に再び田んぼアートを楽しめる日を心待ちにしつつ、先人から継承したこの豊かな地で、子どもたちが将来も誇れる田舎館の創造に、これからも取り組んでまいります。