愛知県蟹江町長 横江 淳一
■ふるさとかにえ
私が生まれ育ったまち「蟹江町」は、明治22年に国の市制・町村制を愛知県が施行したときに誕生しました。そして、令和元年には町制施行130周年を迎え、住民の皆様と周年事業を通じて喜びを分かち合いました。
現在の当町は、人口約37、500人、面積約11㎢で、町内には6本の川が流れており、町域の約5分の1を水域が占めています。かつては伊勢湾台風の甚大な被害にも見舞われましたが、先人の苦労と英知を重ねながら「水郷のまち」として川とともに発展してきました。また、近鉄とJRの鉄道が敷かれており、名古屋駅から電車で8分、東名阪自動車道のインターチェンジや国道1号等、交通至便なまちでもあります。さらに、全国名湯百選の尾張温泉で英気を養うことができるなど、「大都市名古屋の奥座敷」として憩いと潤いがあるまちです。
■4期16年を振り返って
私はかつてトヨタ自動車系列の会社に勤めていました。その後、家業である自転車屋を継いで、地域の方々とのふれあいを大切にしながら商売を続けてきました。そして、町議会議員を10年間務め、平成17年に町長の職に就かせていただき、現在16年目を迎えております。この間、「ジャストインタイム」ということばを掲げて行政運営に当たり、毎年欠かすことなく「まちづくりミーティング」をさまざまな形で開催して、住民の方々の生の声を現場で聴き、町政に反映させてきました。
そして、「10K」という施策連携のキーワードにより、各分野において「住民協働」に力を入れてきました。蟹江の「K」をなぞらえて、「観光、環境、改革、健康、教育、国際、共生、子育て、高齢者、郷土」という分野の施策に力点を置き、それらの施策を「協働」でつなげて取り組んでいます。
■交流人口の増加を推進
そんな当町も、策定した人口ビジョンでは、将来人口推計が減少傾向に転じています。そこで、定住促進のみならず、多様な主体との連携を図ることで、交流人口の増加を推進しています。平成28年には、地域で約400年受け継がれてきた川祭「須成祭」が、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。そこで、隣接する名古屋市のご協力を得て、祭りの当日に名古屋市営バスを直通で運行いただき、町外からの来訪者をおもてなししました。
また、愛知県設楽町、沖縄県読谷村・大宜味村とは、観光協会を中核として連携関係を築き、中学生派遣やイベントでの交歓出店、特産品の推奨等で交流を続けています。さらに、米国イリノイ州マリオン市との姉妹都市交流事業や、地域の大学、企業等との連携協定締結など、多方面からのご支援とご協力をつなぐことで、まちの活力を高めています。
そして、平成30年には、地方創生拠点整備交付金を活用して観光交流センター「祭人」を建設しました。施設の運営は民間の指定管理者と連携し、現在は地方創生推進交付金を活用しながら「蟹江!観光・産業プロジェクト」や「フィルムコミッション」を立ち上げて、着地型の観光振興に取り組んでいます。
■深化し、進化するまちづくり
誰もが希望を抱いて迎えた令和という新たな時代は、コロナ禍で先行き不透明な状況にあります。しかし、希望に満ちた時代は、誰かがつくってくれるものではなく、私たち自身が支え合い、励まし合いながら築いていくものであります。
現在当町では、令和3年度を始期とする第5次蟹江町総合計画を策定しているところです。機械化や情報化など科学技術の進歩に伴い、人と人との関係が希薄になっている今日だからこそ、まちの魅力を高めながら個性を伸ばし、人や社会を思いやるまちづくりに取り組んでいきます。
そして、先人が積み重ねてこられた「歴史・文化・伝統」は、まだまだ光を観る要素があります。それらをさらに深化することで、住まわれる人も、訪れる人も幸せを感じる「感幸地」へと進化していくとともに、「多様な主体との協働」と「横断的な行政経営」で、まちの明るい未来を築いていきます。
終わりに、未来を構築するのは、AIやロボットの力もさることながら、人類のたゆまぬ歴史の中での努力が最も重要だと考えます。まずは「人」からを基本に「粋な蟹江」を目指して、一歩ずつ前に進んでまいります。