大阪府田尻町長 栗山 美政
2年前に在阪のテレビ局で大阪府内の9町を特集した番組が放映されました。
その時のわが田尻町の認知度は、9番目(府下最下位)でした。…対外的にアピールできるような歴史的な名所・旧跡も少ない町なのです。
色々な会合で「田尻町を知っていますか?」と質問をすると、「名前は聞いたことがあるかも? でも、行ったことがない。」という答えが返ってきます。
しかし、ほとんどの人は「関西空港を利用したことがある。」…ということは、田尻町を経由して飛行機を利用しているのです。
大阪府南部・泉州地域にある「田尻町」は、関西空港の中心部分(約3・3㎢)と人の住む本土部分(約2・3㎢)からなる面積約5・6㎢の小さな町域のまちなのです。
明治22年に吉見村と嘉祥寺村が一つになり「田尻村」が誕生して、昨年130年を迎えました。その頃までは、大阪湾沿岸での漁業や農業で暮らしを支える小さな村でした。
明治・大正時代は全国に先駆けて始めた「タマネギ栽培」が、泉州地区全体に普及し、多くのタマネギ農家がありました。また、「吉見紡織」をはじめとする「紡績工場」も隆盛し、「タマネギ栽培と紡績の町・田尻」として発展を遂げ、昭和28年には町制移行しました。
発展を続けていた田尻町ですが、タマネギ栽培や紡績業が下火となるに従い、人口も減ってきました。
しかし、平成6年にわが国初の本格的な24時間海上空港「関西国際空港」が開港し、田尻町も関空のある町として、大きく様変わりを遂げました。沿岸のりんくうタウン地区が整備され、田尻漁港をまたぐスカイブリッジも完成し、各国の外交官などが研修する関西国際センターも開設されました。そして海洋交流センターを拠点としたヨットハーバーや観光漁業、日曜朝市が新たなにぎわいをつくっています。
大阪にあって、都会過ぎず、田舎過ぎないコンパクトな町なのです。
私は昨年11月に再選され、現在2期目を迎え「健康」「防災」「教育」の3つを重点施策に掲げ、まちづくりを進めています。
これから長寿社会を迎えるにあたり、元気な老後を過ごしていただくためにスタートした、ウォーキングやイベントなどに参加してポイントをためる健活制度には、多くの住民が参加しています。
また、お寺の本堂をお借りして始めた「体操教室」も各集会所での開催に拡大し、「たじりっち体操」の普及など皆さんが楽しく集える場所には、元気な笑顔で満ちあふれています。
さらに昨年、「自主防災組織」が再編され、町民の防災意識の向上に大きく貢献していただいています。
「学校給食の無償化」をはじめ、「町民税の10%減税」「3世代同居・近居推進」など子育て世代や働く人たちをしっかり応援する施策も実施しています。
人口約8700人の町内には、保育所・幼稚園・小学校・中学校がそれぞれ1校、町の中心地域に集約されており、子どもたちは15歳まで一緒に大きくなり、共に育っていく中で全員が兄弟姉妹のように仲良くなっています。
また、登下校の見守りはもちろん、色々な学校行事にも住民の皆様が一緒になって子どもたちの世話をしていただいています。
ほとんどの住民が顔見知りで、年配になっても「○○ちゃん」と子どものころの愛称で呼び合う人たちです。
人と人とのつながりが深く、人情味豊かな人たちが多く住んでいる町なのです。
そういった特徴をまちづくりに活かそうと、「たじり8000人の大家族」をスローガンに掲げ、子どもからお年寄りまで全員が一つの家族のようなまちづくりを目指しています。
町内を歩いていても、○○のおばあちゃん、○○のおじいちゃん、と名前や顔のわかる人たちです。
町中のみんなが子どもたちを見守り、お年寄りの世話をする…。
まさに、家族のような絆でつながっている町なのです。
コロナ禍で減便されている関西空港。現在は少し寂しい状況ですが、また多くの人たちでにぎわう日を願っています。
趣味の海岸散歩…大阪湾・関西空港の向こうに沈む夕陽を眺めながらのウォーキングは何物にも代えがたい至福の時です。
日々の生活では気が付かないけれども、田尻町は、「大阪湾の夕陽」「関西国際空港」「人情味豊かな人々」…素敵な宝物いっぱいの町なのです。