埼玉県杉戸町長 古谷 松雄
夜明けとともに、杉戸町の東側を流れる江戸川沿いに鳴り響くいつもの目覚まし時計で、私は目を覚まします。それは、私の大好きな鳥たちの鳴き声です。
私の趣味のひとつが「鳥の飼育」です。自宅の裏庭に可愛い烏骨鶏 50羽、ニワトリ30羽、孔雀1羽を飼っています。毎朝、鳥たちが奏でるハーモニーで起き、鳥たちに食事を渡し、鳥小屋の掃除をしながら鳥たちと戯れる時間は、心から「幸せ」を感じるひとときです。
「私のまちづくりの方向性はこれで問題ないのか」「この危機的状況をどう乗り切るべきか」自問自答を繰り返す中で、いつの間にか、鳥たちに語り掛けています。鳥たちは、話すことはできませんが、自然と私の聞き役になってくれます。清々しい朝のうちに、考えやこころを整理するというのが、私の日課であり、元気の源でもあります。
なぜ、こんなにも鳥が好きかというと、農家の長男として生まれた私は、幼いころ両親に約30羽のニワトリの飼育という役割を課せられていました。毎朝、鳥小屋内をきれいに掃除し、そのご褒美に生みたての卵をそっといただく。その卵を真っ白な炊き立てご飯に慎重に割って落とす。そして醤油を数滴垂らした後は豪快にかき混ぜ、口いっぱい頬張る。卵かけご飯はいわゆる私のソウルフードで、現在の丈夫な身体は鳥たちのおかげと言っても過言ではありません。鳥に感謝です。
それが、縁なのか、私の生まれ育った地区は、「鷲巣」という地名であり、以前は、鷲が多く生息していたと聞いています。平成元年には、杉戸町が町制施行100周年を迎え、それを記念して、町章のデザインを新調することになり、公募の結果、杉戸町の地形は鷲に似ていることから、町章は鷲をモチーフとした、未来に向かって力強く羽ばたく躍動感を表現したデザインが選定されました。
しかし、その頃の私は、運輸会社を設立して間もなくであり、朝から夜遅くまで、仕事に没頭しており、杉戸町の町政に対し、さほど強い関心を寄せていたわけではありませんでした。
そんな私が、政治の世界に身を置くことになったのは、脂の乗った働き盛りの48歳、平成11年の町議会議員選挙に当選してからとなります。当時は、運輸会社の経営と議会議員という二足の草鞋であり、まさか私が、町長に就任するとは夢にも思っていませんでした。そのまさかが起きたのは、平成21年になります。当時、全国の市町村は、平成の大合併の渦に巻き込まれていたところであり、杉戸町も例外ではありませんでした。近隣市町と合併をすべきか単独行政を歩むべきか、町民を二分する論争が起き、3回もの住民投票が行われ、結果として、当時の町長が、任期の途中で辞職するという緊急事態となりました。
そこで、合併推進派・合併反対派と二分された町を一つとするために、町長選挙に立候補し、現在の私があります。
私の生まれ育った杉戸町は、都心から40km圏内にありますが、人口減少問題に直面しております。さらに追い打ちをかけるように、今年になり、新型コロナウイルス感染症の影響を受け、町政運営に苦慮しております。課題山積ではありますが、大空へ羽ばたく鳥のように俯瞰した目で町を眺め、町民の皆さんとともに、自然とやさしさが溢れるまちをつくるため、今日もまた、大好きな鳥たちと語り合う忙しい毎日です。