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大東諸島の誕生・先人たち・北大東村の将来を想って

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年10月19日

沖縄県北大東村長沖縄県北大東村長 宮城 光正

大東諸島は沖縄県の島々の中でも特別な場所にあります。南西諸島の島々のつらなりは、琉球海溝の西側にありますが、大東諸島だけが東側の海底山脈「大東海嶺・沖大東海嶺」の上にあり、その頂上付近が海面に出ております。この海面に出ている3つの島「北大東島・南大東島・沖大東島」が大東諸島であります。

大東諸島は約4、800万年前に現在のニューギニア諸島付近で火山島として誕生しております。そのあたりの火山活動や沈み込んだプレートの影響で長い間海に沈みこんでいた島は、その後の地殻変動でフィリピンプレートが西へと方向を変え、琉球海溝の沈み込みの影響で生じたたわみにより、環礁が隆起し、島が形成され、隆起を続けながらプレートに載り、現在の海域に達しました。今でも年間7cm程度西の方向へ移動を続けており、遠い未来は琉球海溝に沈むと予想されております。

大東諸島は最古の記録によれば、西洋の多くの外国船に発見され、さまざまな名前が命名されておりますが、上陸した記録はありません。長い間無人島であった南西諸島の東側にある3つの島々が、1885年(明治18年)に日本の国土となるまでは世界のどこにも属さない無人島でありました。

沖縄では古くから、遙か東の海の向こうに神々の理想郷(ニライカナイ)があると信じられ、大東島は、遙か東にある伝説の島という意味で「うふ(大)・あがり(東)・じま(島)」と呼ばれていました。

大東島を開拓したのは八丈島出身の方々で、国から開拓の許可を得て、1900年(明治33年)に八丈島で募集した開拓団を島に送り込みました。3度の挑戦でようやく南大東島への上陸に成功し、開拓が始まり、北大東島には3年遅れの1903年(明治36年)に上陸されております。

大東島は戦後昭和21年の村政施行まで、企業経営でした。北大東島は、開拓が始まったことではじめて有人島となり、特異な歴史の中で、先人の皆さま方の偉業によって現在に至っております。

開拓主は八丈島からの移民を「島民・親方」、沖縄出身の労働者を「仲間」と呼んで、社員・島民・仲間という上下関係を基本とした会社を設立し、学校・病院・売店といった必要な施設は、会社がすべて建設・運営し、また、お金の代わりに島内だけで流通する金券(物品引換券)を発行して、人の出入り、樹木の伐採や水産物の利用等すべてが会社の監視下に置かれ、民間会社の運営は半世紀近く続いておりました。さらに、燐鉱採掘で国内最大の産地となり、大いに栄えたことで昭和3年頃には人口が2、600人余に達しておりました。しかし、太平洋戦争で状況は一変。終戦後は、戦争により中断していた燐鉱の積み出しも再開し、本島や本土へ疎開していた住民も戻り、島は活気を取り戻したものの、米国軍政府の経営への関与により、燐の品質が低下し、経営が成り立たず、昭和25年に燐鉱山は閉鎖しました。

燐鉱山の閉鎖で人口の減少も続いたことから、島を支える産業の確立が必要となり、本格的にさとうきび農業へと転換し、生産拡大と同時に開墾した土地の所有権問題の解決にも取り組んだことで、自らの土地でさとうきび栽培に専念できるようになりました。また、製糖施設は含密糖工場から分密糖工場へと増改築され、現在は、さとうきび農業を中心に着実に進展を見せております。北大東村の今日の発展は、厳しい自然環境や立地条件が故、長い間無人島であった大東島の開拓を進めてきた先人たちが、大変な苦労と努力を重ね、幾多の苦難を乗り越えて築いてきたのであります。

その労苦に報いるためにも、現在与えられている環境の中で描き出されている島の将来像の実現に向けて具体化し、外部の力もお借りしながら、島の歴史を後世に正しく伝え、アイデンティティと誇りを持ち、人を育てながら、地域が一丸となって大東島にさらなる豊かさを求めて歩み続けることが重要と考えております。

具体化の一例を紹介しますと、島の立地条件などからして地域経済を支えている農業に続く産業は、漁業と観光業でございます。その基盤となるのが漁港でございます。村民の悲願であった漁港の整備は、昨年2月に島の岩盤を掘り込む「掘削式」の避難漁港が完成し、今後の水産業や海洋観光等に大きく寄与するものと期待している所でございます。

混沌とした社会情勢の中ですが、これからも北大東村の特性を活かした文化的景観や農村としての景観形成、交通体系や情報通信等のインフラ整備等も進め、国境に面した離島の役割を果たして行くためにも、豊かで安心して住み続けることのできる生活環境や産業基盤の確立を図りながら、少しでも多くの皆さんに北大東村を知ってもらえるように努力してまいります。