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日本最古の戸籍ゆかりのまち

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年10月12日

岐阜県富加町長岐阜県富加町長 板津 徳次

富加町の紹介

富加町は、岐阜県の中南部に位置しています。東西に5・4km、南北に4・4kmで面積は16・82㎢で、田園風景の残る自然豊かなコンパクトなまちです。そんな富加町は、都市圏へのアクセスも良く、田舎すぎず、都会すぎず、ほどよく便利で、暮らしていくのにちょうど良いまちです。

そこで富加町では、「みんなで創る 誰もが住みよい ちょうどいい町とみか」の理念で「JUSTomika Life(ジャストミカライフ)」をスローガンに人口増加対策を推進しています。その対策として、町有地の宅地分譲、定住促進奨励事業、子どもはもちろん、親も安心できる体制づくり、雇用促進につながる企業誘致等を実施してきました。その結果、平成2年の5、898人をピークに減少の一途を辿り、前々回の国勢調査の平成22年には5、516人まで減少していましたが、平成27年度の国勢調査では5、564人と48人(約1%)増加し、岐阜県内42市町村の内、人口の増加した6市町村に入りました。また、直近でも人口は増加しており、令和2年6月末の住民基本台帳上の人口では5、753人となっています。今年は、国勢調査が10月に実施される予定であり、より正確な人口把握が行われ、その結果を注視しているところです。ただ、今年は新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、国内外で人の移動が制限されてきたことから、転入出の動きが鈍っていることが予想され、予断を許さない状況が続いていますが、今後も活力ある、持続的に自立した町づくりを念頭に「オール富加」の体制であたってゆきます。そして、夢と希望を持って子育てができ、高齢者にも優しい、住んでよかったと感じることができる富加町の実現が可能であると考えています。


富加の歴史・文化

富加町には、原始・古代の遺跡や神社・仏閣などの有形文化財が多く残されており、今も人々の暮らしの中で息づいています。

江戸時代の酒蔵や道具類で往時の酒造りを伝える松井屋酒造場、京都清水寺と創建を同じくする白華山清水寺、岐阜県の旧石器時代研究の先駆となった海老山遺跡や50基近い古墳など、多くの歴史文化遺産があります。近年は、富加町の夕田地区にある夕田茶臼山古墳などの前方後円墳の調査を継続的に実施しており、これらが東海地方でも最古級の墳墓群であることが分かってきています。

また、富加町は、奈良正倉院に現存する日本最古の戸籍「大宝二年(702)御野国加毛群半布里戸籍」の故地としても知られており、54戸1、119人の名前、性別、続柄が記され、古代の家族や村のあり方を知るうえで欠かすことのできない唯一無二の史料であります。そして、この半布里戸籍と同時代の集落遺跡である東山浦・羽生遺跡が町の中心部に見つかっており、現在までに150棟の竪穴建物が確認されています。古代の村について文字の記録と遺跡の両面で当時の様子を知ることができます。

さて、近年は文化財の活用が各地で進められていますが、富加町においても隣接する美濃加茂市・坂祝町と連携し、「みのかも定住自立圏共生ビジョン事業」の一環として歴史PRマンガ「夕雲の城」を刊行し、関連の山城イベントなどを開催しています。織田信長の東美濃攻略における最大の激戦地である堂洞城や加治田城の歴史を子ども達に知ってもらうため、マンガはすべての児童・生徒に配布をしています。

近年、故郷が辿ってきた道のりを知り、それを次代へ受け継いでいくことの重要性が問われていると感じます。こうした文化財の保護や活用を通じて、我々の「故郷」を知り、郷土を愛する心が育つことを願っております。