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北塩原村の変遷

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年6月29日更新

福島県北塩原村長  小椋 敏一福島県北塩原村長 小椋 敏一

北塩原村は、福島県の会津地方、磐梯山の北西部に位置しています。昭和29年に当時の「北山村」・「大塩村」・「桧原村」が合併し、各村から1文字ずつをとり「北塩原村」が誕生しました。

村の人口は約2、700人、面積は約234㎢、約8割を森林が占めています。標高は会津盆地の200mから900mの山間部まで地区によってさまざまです。

農業が盛んな北山地区、湯治の街として栄え会津山塩の生産地である大塩地区、特産品である高原野菜の生産や数々の歴史資源が眠る桧原地区、四季折々の豊かな自然景観と自然体験ができる裏磐梯地区、大きく4つの地区に分けられ、それぞれの特色を生かした村づくりに取り組んでいます。


北塩原村の基幹産業は、観光と農業です。

北山・大塩地区では、農家は水稲を中心として経営していましたが、国の減反政策により園芸作物や畜産業を営む農家が増加しました。村では村内の農家所得向上のため、平成20年からパイプハウスリース事業を実施しています。事業導入により現在は露地栽培から施設栽培に転換する農家が増え、アスパラガス・夏秋キュウリ等の作付けが盛んになり、平成29年度においては村内のキュウリの販売額が1億円を突破しました。


桧原・裏磐梯地区には、桧原湖、曽原湖、小野川湖、五色沼など大小300余りの湖沼群が見られます。これは明治21年7月に起こった磐梯山の水蒸気爆発により、村を流れる川を岩石などが堰き止め誕生したものです。噴火の影響により裏磐梯は荒れ果てた土地でしたが、のちに磐梯高原緑化の父と呼ばれる遠藤現夢とその有志が、私財を投げうって行った植林活動によって自然豊かな美しい裏磐梯が存在します。四季折々の表情を見せるこの景観は「日本の湖水地方」ともいえ、我が村の自慢、日本を代表する自然豊かな場所となっております。


今では全国から多くの観光客が訪れる北塩原村ですが、生活基盤や観光基盤を整備するため、さまざまな事業を実施してまいりました。

昭和の合併当時は、稲作農業と森林を活かした林業が主な産業で、冬期間は出稼ぎなどで生計を立てていました。昭和40年後半から裏磐梯に移住しペンションを経営される方が増え、観光地として注目されはじめます。更に総合保養地域整備法の制定により、「会津フレッシュリゾート構想」の1つとして村内3つ目のスキー場であるグランデコスキー場が誕生し、現在の観光地裏磐梯の基盤が整備されました。

大塩・裏磐梯間の道路も当時は開通しておらず、地域経済産業、住民同士の交流も滞りがちでありましたが、平成元年には「桧原ビューライン」が開通し、その後国道459号として整備され、この頃から観光客も急増していきました。「磐梯高原」という貴重な財産のもと、さまざまな社会資本が整備され、着実な進展を遂げることができました。


一方で山紫水明の地を守り後世に伝えていくためには、自然環境に関しても環境整備を行っていかなくてはなりません。「上流にある地域は、下流にある地域の為に」という思いから、平成6年に全村下水道化構想を策定し、平成14年度に事業が完了しました。水環境の保全と生活環境の向上を図るため、リンの除去・高度処理施設を増設し、環境に優しい村づくりを実現しました。村の下水道加入率も90%近くとなっています。


その他にも平成16年度には東京都杉並区との「まるごと保養地協定」、平成20年度には山形県上山市との「合宿誘致協定」を締結し、村だけではなく交流自治体と手を取り合いながら事業を実施しています。村の観光ブランド力を向上させるべく、平成22年には「日本で最も美しい村」連合に加盟し、また平成23年には東北で初めて猪苗代町・磐梯町・北塩原村で構成される「磐梯山ジオパーク」が日本ジオパークに加盟しました。さらに令和元年には、戦国時代に会津と米沢を繋いだ村内の街道が、文化庁「歴史の道100選」に追加認定されました。


村では今後も、「自助・互助・共助・公助」の考えのもとに、小さな村だからこそできる村づくりを進め、行政だけではなく村民や村に関わる全ての人が村の未来を共に考え、子どもからお年寄りまで笑顔で暮らせる村を目指しています。


今、日本全体が新型コロナウイルスと闘っています。終息はまだ見えてはいませんが、「ワンチーム」となってこの国難を乗り越えていきましょう。