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ふるさと今昔

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年2月10日更新

福岡県小竹町長  松尾 勝徳福岡県小竹町長 松尾 勝徳​

「川筋気質」とは、一級河川遠賀川流域の石炭で栄えた「筑豊」で暮らす人たちの心意気を表す言葉で、「理屈をこねない竹を割った性格」が特徴であるといわれています。炭鉱社会は、この言葉が表すように活気に満ちた社会でした。時代が移り変わっても、その気質は今でも脈々と受け継がれています。

私はこの旧産炭地と呼ばれる筑豊の小竹町で昭和24年に生まれ育った団塊世代の一人で、高校を卒業後、小竹町役場に就職してから51年の歳月が流れました。その間、平成17年に助役(制度改正により現在は副町長)に、平成23年から町長として3期目を迎え「暮らしを支える絆社会をめざして」を政治理念として、微力ながら町政を担い、現在に至っています。

小竹町は、昭和3年に鞍手郡勝野村から町制施行し小竹町が誕生しました。総面積14・18平方キロ、人口7、500人の小さな町ですが、歴史は永く、平成30年には町制施行90周年を迎えました。戦中・戦後は石炭産業の発展とともに栄え、最盛期には人口2万1千人に達した時代もありました、昭和40年代のエネルギー革命により炭鉱の閉山が相次ぎ、以後、鉱害復旧事業により町を再生し、新たな町づくりを進めています。

歴史的に見ても小竹町は、長崎街道沿いの交通の要衝の地として栄え、薩摩藩士と当時の長崎街道の「お休みどころ」であった原田家との交流の物語「六宿街道・長藪騒動」の心温まる記録が残されています。そして遠賀川沿いには小さな竹が生い茂り「小竹の処」として呼ばれていたことが町名の由来となっています。

町づくりは、住民の皆様のために様々な施策を住民とともに協働・共生して進めていくことです。そのためには人材の育成や自治会を含めた町づくり諸団体との連携が不可欠です。このことを踏まえて、小竹町の将来像、「住みたい・育てたい・訪ねたい・あなたが主役 幸せ実感 小竹町」をキャッチフレーズに掲げ、令和8年度を目標年次とした「第五次総合計画」を策定し、その実現に向けて努力しています。

これまで町の重点施策として進めてきた敷地面積約43ヘクタールの小竹団地への企業誘致も、隣接する宮若市にトヨタ自動車九州工場が立地していることから、自動車関連部品工場や流通関連企業、大型商業施設など17社の誘致が決まり、工業団地は完売しました。このことにより、工業団地と隣接する小竹駅周辺も賑わいを見せるようになり、JR福北ゆたか線「小竹駅」の乗降客も徐々に増加してきました。今後、土地開発公社が所有する駅周辺の土地、約4ヘクタールの開発を町の重点施策として宅地造成や商業施設誘致など積極的に進め、若者の定住促進につなげたいと思います。現在、小竹駅西口周辺では一部で宅地造成が進められています。今年度末までには宅地分譲が開始される予定です。さらに、防災拠点機能を備えた新庁舎建設は昨年5月に起工式を行い、今年度末の完成をめざして急ピッチで進めています。町民のコミュニティの場として、また、障がいのある方やおとしよりにも優しくバリアフリー化した新庁舎の開庁が待たれます。建設場所も小竹駅西口付近に位置しますので駅周辺開発に大きな効果が生まれると思います。

教育においては、平成29年度に文部科学省が実施した全国学力テストにおいて、小竹町の小学校が福岡県内60市町村中最上位になる素晴らしい成績を上げました。「知・徳・体」の調和のとれた人格形成をめざす学校教育の充実は、町の将来を担う人材育成につながると思います。

論語の一節で、政(まつりごと)の要諦(大切なもの)は何かとの弟子の問いに孔子は「近き者悦び(よろこび)、遠き者来る」と、「政治」で最も大切なことを諭しました。2500年前の孔子の深慮と中国文化の深さに驚きを感じました。町づくりは、そこに住む人が喜びを感じる町であれば、人が移り住んでくるという教えです。身にしみるこの論語の一節を心に刻み、ふるさと小竹の町づくりに取り組んで行きたいと思います。