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唄と踊りと俳句のまち

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年10月7日

埼玉県町村会長 皆野町長 石木戸 道也埼玉県町村会長・皆野町長 石木戸 道也

皆野町は、埼玉県の北西、秩父郡の東北に位置し、四方を山々に囲まれ、北に埼玉県の観光名所長瀞町、南に埼玉県一の面積をもつ秩父市に挟まれた自然豊かな町です。

秩父唯一の独立峰である美の山頂から眺める秩父盆地に広がる雲海や夜景、秩父高原牧場の天空のポピーなどは、新たな観光スポットとして話題を集めています。

私が住んでいる日野沢地区も、最近のテレビ番組で「秘境」として取り上げられ紹介されておりました。

さて、平成30年2月、皆野町の名誉町民である金子兜太先生が98歳でご逝去なされました。兜太先生は、秩父音頭家元で俳人の金子伊昔紅翁(本名:元春)の長男として皆野町で育ちました。昭和58年に現代俳句協会の会長に就任され、日本の俳句文化の向上に努められました。兜太先生は、皆野町を産土(うぶすな)としてこよなく愛され、たくさんの句を残されています。「俳句は人である」と兜太先生が言われているように、先生の人柄は多くの人から愛され、講演会や吟行ツアーなどはいつも大盛況でした。

兜太先生は、力強く味わいのある独特な字を書かれました。町長室には、兜太先生の俳句が書かれたうちわが飾られていますが、公務の合間にそのうちわに目をやると、心和み疲れが癒される思いです。

『おおかみを 龍神と呼ぶ 山の民』 先生の代表作の一つであり、私の好きな一句です。

また、句碑が町内9カ所に設置されており、町民はもとより多くの俳句ファンが訪れるなど、俳句はまちづくりの象徴になっています。9月23日に開催された、「金子兜太百年祭in皆野町」では、ドキュメンタリー映画の上映や兜太先生を敬愛する俳人や作家の皆さんによるリレー講演が行われました。町民をはじめ多くのファンの皆さんが参加され、兜太先生の偉大さを再認識いたしました。

さらに、昔から町民に親しまれ、まちづくりの中心となっているのが「秩父音頭」です。秩父音頭は、埼玉を代表する民謡であり、群馬県の八木節、栃木県の日光和楽踊りとともに関東三大民謡にあげられています。

秩父音頭の唄と踊りの発祥については定かではないため、その起源は、今から200年くらい前に秩父の山間の生活から生まれたという説や、秩父の若者が中仙道の宿場町から持ち帰ってきたという説が存在します。

昭和4年、皆野町の医師で俳人の、金子伊昔紅翁が自らの作詞に公募した歌詞を加え、唄と踊りを現在の姿に生み出しました。昭和5年11月には、明治神宮遷座10周年祭に「秩父豊年踊り」として奉納し、多くの人々から絶賛を博しました。その後「秩父音頭」と名称を変え、以来埼玉の代表的民謡として、広く親しまれるようになりました。秩父音頭の踊りの中には、秩父人の生業である養蚕や農耕の仕草や、山狭で生活する者の足腰の強さを表現する屈伸の動作が入っており、素朴で強靭な秩父人の心意気が余すことなく盛り込まれています。

皆野町は秩父音頭発祥の町として、毎年8月14日に「秩父音頭まつり」を開催しております。今年で第51回を迎え、来場者数は約2万2千人、流し踊りコンクールには県内各地から71チームが参加し、出場者は子どもから大人まで1、500人を超え、役場庁舎前のお祭り広場が、櫓を中心に踊り手と観客で埋め尽くされ、盛大に開催することができました。

また、平成29年6月には、浅草商店連合会との交流をきっかけに「隅田川水面の祭典」に参加し、スカイツリーを背に秩父音頭を披露させていただき、浅草と皆野町の交流がはじまっております。

今後は、皆野町といえば「秩父音頭と俳句のまち」と連想していただけるよう、先人たちが築き上げてきた「秩父音頭」と「俳句」をまちづくりの基本に据え、さらに継承と発展に繋げる取組を進めてまいります。