愛知県町村会長・大口町長 鈴木 雅博
光陰矢の如し
歳を重ねてこの頃、月日が経つのは早いものだなと感じることが多く、町長の職に就かせていただいて、6年目を迎えたこともその一つ。
私の家は、祖父が作業用手袋等を扱う店を立ち上げ、父が事業と業種を拡大し、父の第5代大口町長就任を契機に、私が家業を継ぐこととなった。多くの仲間と青年会議所等で切磋琢磨し、家業を会社組織へ移行させるなど、社員として経営者として通算35年余、事業に力を注いできた59歳の秋、第8代町長候補者への推挙という、新たな転機が訪れる。
行政経験ゼロの私、決意までの間、不安や恐怖心にさいなまれたが、諸先輩や仲間から期待の声を聴く中で、生まれ育ったまちへの感謝と、この豊かなまちを次の世代に送りたいという一心で第一歩を踏み出した。
「当選」の知らせを受けた瞬間の、喜びをはるかに上回る緊張感と周りの方々への感謝の念は、職を退く日まで決して忘れまいと心に誓っている。
試行錯誤・五里霧中
平成25年11月1日初登庁。迎えていただいた職員の皆さんを前に、想いと覚悟を話した。
「まちの将来に夢を持ち、目先・慣例にとらわれず50年先を見据え、子や孫が誇りをもって暮らせるまちにしたい。このまちは、都市近郊ながら田畑が残り、世界に誇れる企業がある。夢とやる気があれば、まちはさらに発展する。人々は優しく謙虚だが、時として自信なさげに見えるのが悔しい。互いに礼を持って礼を尽くし、常に笑顔を心がけ、皆さんと共に職責を全うしたい。」
とは言ったものの、行政言葉や書類、会計方法、実に多種多様な町民の皆さんの声、地域の懸案課題など、想像をはるかに超えた、学びの日々であった。
飲水資源
中国の故事成語の一つで、私が大事にしている言葉。
「水を飲む者は、その源に思いを致せ。」広く解釈すると、「井戸の水を飲む際には、井戸を掘った人の苦労を思いなさい。」の意である。
大口町は、昭和の大合併の折(当時は大口村)、純農村で貧しく近隣自治体に合併を拒まれ先人が奮起。「自主自立」を掲げ、当時は貴重な田畑をまちの人々は工場用地として提供し、残した土地は改良事業を推進することで生活道路も整備したと聞く。
その決断は、経済成長という追風を受け結実したが、大口町を評する折、真っ先に言われる「財政豊かでいいね。」に、寂しさを感じる自分がいる。
このまちには、犬山扇状地がもたらした強固な地盤や肥沃な大地を支える五条川があり、公共心あふれる人財は豊富で、国宝「松江城」を築城した堀尾吉晴公生誕の地でもある。
お金や数字で表すことのできない、貴重な財産がこのまちにはたくさんあることを、まちの皆さんに知って貰い、それこそが真の「誇り」なのだと、シティプロモーションに取り組んでいる。
種を蒔かないと収穫の喜びは得られない
今、総力を挙げて推進している、企業誘致や道水路の再整備、自治・まちづくり活動や保育・教育、健康づくり等は総て、先人も取り組んだこと、企業理念と同様、行政にもまた普遍性がある。
岐阜県の御母衣ダム建設の際、悠久の時代から、村人の拠り所であった桜の大木が水没することを惜しみ移植した話には、こんな想いが託されている。
「進歩の名のもとに、古き姿は次第に失われてゆく。だが、人の力で救えるものは、なんとかして残してゆきたい。古きものは古きがゆえに尊いのである。」
数値目標や効率、成果が重要視される時代。お金やモノ、数字を否定する気はさらさらないが、それでも私は、住民、企業、行政がまちの将来への想いを一つにし、手を携えて汗を流して種を蒔き、その収穫を皆で喜び達成感を得ることで、活気あふれるまちにしたい。
たとえその成長が遅くても、収穫を見届けることができなくても、将来の強い憂いに備えるために、新たな種を蒔き続けたいと願っている。
町民・企業・職員の皆さんと共に。