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「ちょっとした贅沢」があるまちづくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年4月8日更新

愛媛県砥部町長 佐川 秀紀愛媛県砥部町長 佐川 秀紀

「小さくても、キラリと光るまちづくり」をスローガンに、旧砥部町と旧広田村との町村合併が行われたのが平成17年1月1日のことでした。

平成の大合併が進む愛媛県内において、紆余曲折の末に両町村の住民が選んだのは、2万2千人の人口を擁する砥部町と千人余りの広田村との対等合併でした。

県都松山市のベッドタウンとして人口が増加する町と、山間部で人口減少が著しい村との合併に、また大きな人口差を抱えた合併に賛否両論があったことは否めません。

当時、旧砥部町の職員であった私に課された職務は、この合併を成功させることにありました。旧砥部町にとって町村合併は昭和30年以来の出来事であったので、当然のことながら経験のある職員はおらず、暗中模索、疑心暗鬼、また一喜一憂の毎日であったことは容易に想像がつくことと思います。まさに町村合併とは何か、地方自治とは何かを問われた仕事であったように思います。

時は流れ8年後の平成25年、町民の皆様方から町政の舵取り役を託されました。私は、昭和43年に砥部町に奉職して以来45年間、常に心にとめていたことは、「安心・安全のまちであり続ける」ということでした。「安心・安全」は、子どもから高齢者まで、すべての住民がいきいきと豊かな生活を送るための基本であり、まちづくりの原点であることは言うまでもなく、それに「ちょっとした贅沢」を加えることによって、より豊かな生活を実現することが、今の私に課せられた使命であります。

砥部町を代表する地場産業の一つに、国の伝統的工芸品「砥部焼」があります。存続を危ぶまれた時期もありましたが、後継者の頑張りもあって、砥部焼の知名度は着実に上昇しています。白磁に清楚な藍の絵模様は根強いファンから支持されているばかりか、最近では、若手や女性陶芸家の感性を随所に感じさせられる作品も多く創られるようになりました。伝統工芸品として伝統を重んじる中に吹く新たな風に接する折、時代の移ろいを感じずにはいられません。

加えて、砥部町は動物園のまちでもあります。西日本屈指の規模を誇る「とべ動物園」が開園したのは、今から約30年前の昭和63年の出来事です。とべ動物園の開園とともに、砥部町と県都松山市を結ぶ国道33号線は、グルメ街道と呼ばれるぐらい沿線では飲食店などの開発が盛んに行われました。バブル経済の最盛期にあり人口増加が顕著な時代でもあったと記憶しています。

昭和45年頃から続いた人口増加も平成17年頃をピークに減少へと転じました。皮肉なもので、旧砥部町と旧広田村とが合併し新砥部町が発足した頃でした。

全国の自治体がこぞって人口減少対策を打ち出す中、本町においても人口減少に歯止めをかけるため、シティプロモーションの視点として、「あそびべ、とべ。」をコンセプトに、ブランドマークを作成し、まちのブランド化に取り組んでいます。

「あそびべ、とべ。」は、砥部に遊びに来て、いろんな遊びのなかに砥部の魅力を感じてほしいというメッセージであり、すでにあるものだけでなく新しい何かを遊びのなかに見つけていこうという、砥部町が目指す方向性を示しています。

砥部町は、砥部焼、とべ動物園、砥部焼伝統産業会館、坂村真民記念館、そして柑橘、七折小梅、自然薯、高原野菜など、産業や歴史文化において多様性に富んだまちであり、その多様性が多くの遊びを創造しています。遊びがいっぱいあるということは、砥部町の豊かさ、しあわせ感を象徴しています。

「あそびべ、とべ。」は、冒頭で申しましたところの「ちょっとした贅沢」といったところでしょうか。「ちょっとした贅沢があるまち」、それは、「豊かで幸せがいっぱい詰まったまち」ではないでしょうか。