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澄んだ星空の下で思うこと

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年2月18日

青森県深浦町長 吉田 満青森県深浦町長 吉田  満

「澄んだ星空日本一」

環境庁(当時)が、2000年夏季の星空継続観測で、全国四九九地点のうち岩崎村(2005年3月に合併し現在「深浦町」)を、「夜空が最も澄み、全国で一番、星の観測に適している所」に選んだことを契機に、村が作ったキャッチフレーズです。

仕事柄、夜遅くに帰宅することの多い中で、夜風に触れながら眺める満天の星は、一日の疲れを癒し、明日への活力を与えてくれるような感覚にさせてくれます。

壮大で静寂な空間は、張りつめた精神の安息と、「心の整え」をもたらしてくれるのかもしれません。

また、星空を眺めることは、時間の経過を想像することにもつながります。今、目の前で輝いている星の光は、何年前のものだろうか、また、その頃のふるさとは、どんなだったのだろうか、さらに、今を生きる私たちは、しっかりと歴史を継承しているのだろうかと、今一度立ち止まってふるさとのことに、思いを巡らせるのです。

世界自然遺産白神山地と、雄大な日本海に抱かれたふるさと深浦町。神秘の湖「青池」を擁する十二湖、樹齢1000年以上、幹回り22mの日本一の大イチョウ、乗ってみたいローカル線日本一にもなった「JR五能線」など、数多くの魅力的な資源があります。

青森県の西端に位置する深浦町は、日本海に面した70㎞にも及ぶ海岸線沿いに集落が点在し、自然と共生した第一次産業と観光業を中心に、人々の暮らしが営まれています。

小説家太宰治は、著書「津軽」の中で、「深浦町は、旧津軽領西海岸の南端の港である。江戸時代、青森、鯵ヶ沢、十三などと共に四浦の町奉行の置かれたところで、津軽藩の最も重要な港の一つであった。丘間に一小湾をなし、水深く波穏やか、吾妻浜の奇巖、弁天嶋、行合岬などひととおり海岸の名勝がそろっている。しずかな町だ」と紹介しています。太宰が見た深浦の風景は、今も変わらず私たちの日常に溶け込んでいます。

太宰が紹介しているように、深浦港は古くから天然の良港として知られており、江戸時代後期から明治時代にかけて、大阪と北海道を結んでいた貿易船「北前船」の風待ち湊として、賑わっていたようです。1200年の歴史を誇る古刹「円覚寺」には、北前船の航海の無事を感謝し、自らの髷を落として作った髷額や、北前船を描いた絵馬が数多く奉納されており、中でも、幻の船と呼ばれた「北国船」の絵馬は日本で唯一とされ、それらを含む106点が円覚寺奉納海上信仰資料として、国重要有形民俗文化財に指定されています。

人々の信仰を集め、「観音様」の愛称で親しまれている円覚寺は、昨年七月、本尊である秘仏「十一面観世音菩薩」が33年ぶりに御開帳され、多くの方々がその姿をご覧になりました。

また、円覚寺に関わりの深い北前船は、航海によってもたらされた文化の伝承や、経済発展の足跡の物語が、後世に語り継ぐべき価値あるものとして文化庁が「日本遺産」に認定、深浦町を含む全国三八市町が「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の称号を得ることができました。

先人が大切に守り育んできたふるさとの宝、世界自然遺産「白神山地」と、日本遺産「北前船」の魅力を一層発信していかなければと、決意を新たにしているところです。

日本全体が人口減少社会に突入している今日、産業の担い手確保や、地域の特性を生かした持続可能な地域づくりが求められています。

青森県随一の漁獲量を誇るマグロを使ったご当地グルメ「深浦マグロステーキ丼」はデビューからわずか5年あまりで20万食を提供、交流人口の促進に貢献しています。

また、世界自然遺産白神山地から注ぐ冷温で清浄な水資源を活用した国内最大規模のサーモン養殖事業は、世界的な水産需要の高まりと、持続可能な資源管理の重要性から、将来の発展産業になるものと期待しています。

しかし、こうした成果を得つつある事業は、多くのチャレンジと挫折の積み重ねによって生まれた一握りの取組に過ぎません。チャレンジなくして成果なし。失敗を恐れず、何事にも果敢に挑戦する気概を持つことが、地域を元気にすることだと心に刻んでいます。

さて、冬は一年で最も空気が澄み、星の輝きが増す季節です。

北の夜空に輝く北極星は、地球から430光年離れているとされています。と言うことは、今見ている北極星の光は430年前のもの。430年前と言えば、日本では戦国武将が群雄割拠していた頃です。当時の深浦町の人々の暮らしを想像することは難しいまでも、後に日本一となる大イチョウもあっただろうし、円覚寺も参拝客で賑わっていただろうし、「白神山地」と呼ばれることとなるブナ原生林も、今と変わらぬ姿をしていたのだろう、また、北前船も北極星を目印に大海原を航海したのだろうと、想像を膨らませています。

ならば、未来に想像を転ずると、現在の深浦町の姿が北極星側から見られるのが430年後だとしたら、その光はどんなだろうか。立場上、深浦町の光がひと際輝いていて欲しいと願うのは、満天の星々の壮大さに比べ、いかに利己的な考えなのだと自戒しながら、今夜も帰路につくのです。