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「親仁善隣」遥かなり!

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年10月1日

沖縄県与那国町長  外間 守吉沖縄県与那国町長  外間 守吉

役場庁舎応接室に「親仁善隣」と書かれた額がある。与那国町と台湾花蓮市との姉妹締結式に中流文化経済協会理事長より寄贈されたもので、周囲の国々や人々と仲良くしようという意味がある。

与那国島は日本最西端の東京からみると有人離島では最も遠い島であるものの、国境に面している島であることから、日本国内だけでなく当然の如くお隣の台湾とも関係が深く、戦前・戦後そして現在に至るまで台湾は島発展の重要なキーワードである。

戦前、与那国島は東洋一といわれた鰹節工場があり活力のある島として発展、日本の統治下であった台湾は仕事、買い物、修学旅行と日常生活の場であり、戦後は台湾との(密)貿易の中継基地として人、物、金が島に集まり昭和22年には人口は約1万2千人まで膨れあがっている。しかし、その人口も戦後の動乱期を過ぎ国境線が確定すると同時に台湾との交易が困難になり、動脈が切れたように人、物、金の流れがストップし文字通り端っこの島となった。その後の島の衰退は言うまでもない。

与那国町は1982年から台湾・花蓮市と友好姉妹都市提携を結んでおり、昨年2017年はちょうど提携35周年にあたったが、台湾東部大地震による震災の被害が多大であったため記念事業は順延し今年改めて実施することとなった。与那国から花蓮への訪問団を結成し島から直接乗り入れる計画だが、当然両者の間に定期的な就航路線はなく、今回も与那国島から直接チャーター便を飛ばす計画であるが、35年間の経験を通じてそれが一筋縄ではいかない事実もよく知っている。地理上も、歴史上も深い関係にある隣国台湾へは、これまでも様々なアプローチを仕掛けてきた。しかし、晴れた日には年に数回島影が望める近さにある台湾も政治的には遠い存在である。それは、島にCIQ(税関、入管、防疫)の施設、体制が整っていないことも要因の一つである。

そこで、島が困窮している打開策として「国境交流特区」を2005年、2006年に国に対して申請してきた。結果は残念ながらほぼ不可として退けられてきた。そのことから、作戦を変更しチャーター便を飛ばすなど台湾との直接交流の実績を重ねてきたのである。与那国空港から飛行機に乗るとわずか数十分で台湾が見える。この近くて遠い国へ与那国島からいつでも自由に往来できるよう、日本の西の端の玄関口を目指したいものである。

混沌とした時代の中、5年後、10年後がどうなっているのか予測するのは難しいが、ただ、減少の一途を辿っている町の人口は、何の対策もとらなければ自治機能を維持していく上で必要な限界値に近づいていることは確実だ。

誤解を恐れずあえていうと、隣接する市町村と地続きの他の自治体とは違い、島一つを独立した自治体として維持していくにはそれなりの人口の規模が必要である。空港・港湾を中心とした交通、診療所を核とした医療・福祉、小学校・中学校を中心とした教育、公民館を核とした島独特の伝統文化・芸能、さとうきびを中心とした農業はある程度の生産規模がなければ維持できない。それらを全て島の中で独立して行わなければならないからである。

今、我々は島の将来展望というより島の生き残りをかけて必死に国、県そして町民へと島の内外へ働きかけている。

冒頭でも記したが、島の特性として、経済、文化、行政など全ての面においてこの島が中心から離れていること、面積、人口、市場などの規模が狭小であること、さらには、四面を海に囲まれていること、台風などの自然災害を受けやすく、農産物被害、空路、海路の欠航、それによる観光客キャンセルなど経済活動が外的環境により常に左右されること等の負の要因があり、逆の面で言うと孤島であるがゆえに面積の割に固有種が多いなど特有な自然生態系があり、さらに、人的にも他との交流が少なかったため、独自の文化、歴史、風土が残っているなど優位な面もあり、加えて、国境に面しているという特性があげられる。

それらをふまえ、領土、領海、EEZの保全のための「安全・治安の確保」「離島地域の保全」「定住促進のための産業振興」「海洋環境の保全」「国際交流」などをどう制度化し、これをどう具体化していくのかがこれからの課題でもある。