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災害に強い、被災を繰り返さないまちづくりをめざして

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年8月6日

東京都大島町長  三辻 利弘東京都大島町長  三辻 利弘

青い空、きらめく海、まばゆい太陽、かがやく緑、満天下の星空・・・・・。

古くから火映現象を「御神火様」と尊び崇めてきた三原山、面積91㎢に自生している300万本のヤブツバキ、180万本のオオシマザクラなど、富士箱根伊豆国立公園の指定や「伊豆大島ジオパーク」に代表される豊かな自然、新鮮な魚介類、明日葉、くさやなどのバラエティに富んだ食など多彩な魅力を持っている島、それが私の暮らす伊豆大島です。

しかし、豊かな自然は、時には私達を脅かす脅威となり、過去、幾多の自然災害に見舞われています。

噴火災害では、三原山は日本有数の活火山であり、過去100年以内でも1912–14年、1950–51年、1986–87年に大規模噴火しており、特に1986年大噴火では約1カ月間におよぶ全島民島外避難を余儀なくされました。

町では、全島民島外避難したこの11月21日を「大島町防災の日」と定め、防災訓練や防災講演会を開催するなど、防災意識の普及と高揚に努めています。

主な台風災害としては、1856年、1932年、1958年の台風により、いずれも死者、行方不明者等の人的被害、家屋全壊等の物的被害など甚大な被害を受けております。

さて、平成25年10月16日、台風26号の接近に伴う豪雨は、1時間に122・5㎜の猛烈な雨が降り、24時間の降水雨量では10月の大島での月降水雨量平均値の約2・5倍となる824㎜という観測史上最高値を記録し、その結果、大規模な土砂災害が発生しました。この災害によって、36名の尊い命が奪われ、いまだ3名の方が行方不明(平成30年5月1日現在)となっています。また、建物被害は全壊137棟を含む400棟、その他、道路、港湾施設、農林漁業施設及び学校施設等過去に例を見ない甚大な被害を受けました。

こうした災害の際には、各道府県町村会や全国の多くの皆様から心温まるご支援をいただき、改めて御礼申し上げます。

土砂災害からの復興と再生を進めるためには、各種施策を総合的かつ計画的に実施することが必要となります。一日も早い被災者の生活再建支援と産業の再建を果たし、安全・安心で魅力ある島を町民と行政とが協働で実現していくためのまちづくりの計画として、大島町復興計画(以下、「復興計画」という。)を平成26年9月に策定しました。

復興には、被災者の生活再建という早期に対応すべき課題から、新しいまちづくりという長期的な課題まで、多岐にわたる取組が必要とされることから、10年間とし、この10年間を前期(平成26年度から28年度)、中期(平成29年度から31年度)、後期(平成32年度から35年度)の3段階に分け、それぞれ次のとおり目標を設定しました。

○前期の目標:被災者の意向を尊重し、個々の被災状況に応じた生活再建の目途が立つことをめざします。

○中期の目標:活気と魅力ある島の再生を図り、東京オリンピック・パラリンピック開催に合わせ「元気な大島」を発信します。

○後期の目標:「復興でめざす島の姿」として、<安心と笑顔があふれる美しい島>を実現します。

また、復興に当たっては、「被災者生活再建支援」、「地域基盤・インフラの復旧」、「産業・観光復興支援」、「防災まちづくりの強化」を4つの復興の柱とし、施策を推進しているところです。

現在、復興計画の中期目標で掲げた活気と魅力ある島の再生に向け、元気な大島を発信すべく取組の強化を推進しているところであり、これら復興への取組が、着実に確固たる形へと変化していくことを強く実感しております。

終わりに、伊豆大島は、生きている地球を体感できる三原山、日本経済新聞に日本一と称された地層大切断面、平成28年に認定された国際優秀椿園、昭和の初め、野口雨情作詞・中山晋平作曲により一世を風靡した「波浮の港」、日本で唯一、国土地理院の地図で「砂漠」という名称が付いている「裏砂漠」など、見所たくさんですので、是非、皆様お出で下さい。お待ちしております。