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若者よ 上市に帰って

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年4月20日

若者よ 上市に帰って


富山県上市町長 顔写真富山県上市町長 中川 行孝

昭和四十六年四月、着慣れぬ背広姿で山手線に乗った。午前の筆記と午後の面接を受けるためだ。

三年前に上京したときは卒業後は絶対富山に帰ると決めていたが、その決心もどこへやら。東京で生命保険会社の内勤事務の採用試験を受けようとしている。一年前から会社訪問をしていたが、最後の判定の場となると落ち着かない。面接も終えた帰りの車内で次の受験先が頭をよぎる。二社共だめなら富山へ帰ろうと考えていた。四月末、管理人さんから書留郵便物を受け取った。封筒には生命保険会社の社名があった。逸る心を抑えながら封を解く。「内定」とあった。夜になるのを待って公衆電話から父親に「内定」の知らせがあったことを伝えた。父親は「長男だから帰って来い」と、予想はしていたが冷たい返事だった。その年のお盆に帰省したとき父は一回だけだったが「帰って来い」と言った。そして九月頃だったと思うが町広報が送られてきた。便箋に役場が職員採用試験をすると書いてある。受けてみないかと書かれていた。まだあきらめていなかったようだ。そして町役場を受験することになった。当時は、受験資格に「上市町に住所を有するもの」という住所要件があった。そして、翌年四月から公務員になった。

ここらで上市町の紹介をさせていただこう。富山市の東十五km、富山地方鉄道で約二十分、珍しいスイッチバックの駅に着く。上市駅を降りると正面に名峰剱岳を主峰とする北アルプス連峰が飛び込んでくる。人口は、約二万九〇〇人、高齢化率三十四%と高い。古くは繊維産業が盛んであったが、今は、医薬品を中心に自動車用関連やプラスチック製品、分電盤など多彩である。

名峰剱岳は、長い間標高三〇〇三mとされてきたが、つい最近、国土地理院がGPSで計測した結果二九九九mであるとされた。明治末期の陸軍参謀本部陸地測量部柴崎芳太郎を中心とする一行の測量技術の高さに感服させられたところである。四季を通して三〇〇〇m級の頂を目指すクライマーが多く、地元富山県警の山岳警備隊は、全国トップの技術者集団で救助訓練に余念がない。

平成二十四年、町に新たなヒーローが誕生した。「花」「雨」「雪」である。細田守監督の「おおかみこどもの雨と雪」。観客動員数三四四万人の大ヒットとなり、公開と同時に全国から多くの人が「花」の家を訪ねるようになり、そのうねりは今でも続いている。細田守監督は、我が町の出身者でもある。

町の約八割が山間地域であるが、その緑の恵みにあやかり森林セラピー基地が整備されている。大岩は国の重要文化財大岩山日石寺の石仏や緑の苔が張り付いた水辺の千巌渓、樹齢四〇〇年のトガ並木が続く眼目、剱岳の登山基地馬場島、どの基地も家族そろってマイナスイオンに浸るにふさわしい自然資源である。

大岩山日石寺の石仏をもう少し紹介する。

富山地方鉄道上市駅から町営バスで二十分、真言密宗の大本山大岩山日石寺本堂の正面に国の重要文化財「磨崖物」が鎮座している。神亀二年、行基が一大巨巌を発見、刻んだとされる。六本滝や千巌渓と並んで多くの観光客を呼び寄せている。

こんな町であるが課題も多い。先に書いたとおり若者の流失が続き高齢化率の高い原因となっている。このため、企業誘致は勿論、富山地方鉄道本線に請願駅を整備し、県都富山市への公共交通利用促進に努めたり、若者の定住促進のための公営住宅の整備、公共施設の耐震化、小・中学校の空調設備やトイレの洋式化、学校給食費助成など、子育て環境の改善にも努めている。

昨年の三月、岡山で暮らしていた息子から思いもよらぬ電話が入った。「お父さん、俺富山へ帰ろうと思っている」と。息子が大学を卒業するときに「富山へ帰れ」と言ってはいたが、卒業から八年も経って帰ろうとしても中途採用してくれる会社があるか心配だったが、息子は自分で探してきた。六月中旬まで私と妻、会話のない二人暮らしだったが、六月下旬、息子夫婦に孫二人、我が家は一気に笑顔があふれるようになった。

公務員になって四十五年、今、この職にあるから言うのではないが、ふるさとを思って帰ってきてくれた息子たちに感謝しながら、町民の皆さんの満足度の向上を図り、ふるさとへ就職してくれる若者のために町内は勿論、県内の企業をPRして上市町のすばらしさを実感していただけるよう努めていきたい。