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合併の弊害

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月7日

民俗研究家  結城 登美雄(第2885号・平成26年7月7日)

東日本大震災から3年以上の歳月が流れた。私はこの間、岩手・宮城・福島の被災3県の沿岸集落を定点観測的に何度もたずね歩き、 各々の被災現場の復興への姿を記録している。その印象をあえて言うならば、被災地の多くはガレキの撤去が終っただけで、 復興への道はほとんど進んでいないのではないか。 その理由のひとつに国がつくった復興事業(高台移転や巨大防潮堤建設等)が現場を強く支配しているからだと思われる。 例えば防潮堤建設をめぐっては現場からは海と陸の連続性や海辺の生態系が破壊されるなど反対論や修正案が出ているのだが、 当局は「命を守るため」との大義を盾に一歩も引こうとせず、強権的に押し進める。総延長400㎞の巨大コンクリートのカベに1兆円もの予算がつき、 これに現場が異議を言えば「お前たちが反対するから次のまちづくりに進めない」とおどされ、それが住民対立や分断になっている。

復興のおくれのもうひとつの理由は、被災者自身の生活再建に伴う迷いと悩みの問題がある。早く仮設住宅を出て家を建てたいが、 元の住居跡は「災害危険区域」のため新築できず、それが決まらないと仕事や家族やコミュニティの問題も決められない。私はこの3年間、 仮設暮らしの人々から将来の不安を訴える言葉をたくさん聞いてきた。そして改めて人それぞれに異なる事情や悩みを抱えていることに気づかされた。 そしてつくづくと国が進める復興事業と被災現場の生活再建の間には深くて大きな溝があると強く感じた。 そして被災者の多くが「本当は身近かな役場に頼りたいのだが、広域合併の弊害で職員が半分以下になり、 顔見知りの職員もいなくて相談しにくい」という言葉を何度もきいた。ゆれながら迷いながらも3年を経て、 ようやくもう一度この土地で生きようと思い定めつつある被災地の人々。その心を受けとめ寄り添い、ともにこの土地を生きる、 心ある自治体職員の活躍に期待したい。