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「落ちこぼれ」は存在しない

印刷用ページを表示する 掲載日:2005年2月28日

筑波大学名誉教授 村上 和雄 (第2511号・平成17年2月28日)

人それぞれには個性があり、一見、平凡な人のように見えていても、その中には、ほとんど無限ともいうべき可能性を隠し持っています。生命の神秘や遺伝子の素晴らしさは、すべての人間に存在しています。受精によって、父親と母親の染色体が混ぜられて、子供の細胞に渡されます。この時、一方の組にある遺伝子が傷ついても、他方の組の遺伝子を利用すれば、まず、正常に暮らしていけるようになっています。どちらか片方が傷ついたときには、お手本が残っているので修正が可能なのです。ところが、この欠陥が世代を重ね溜まると、両方が傷つき、終いには滅亡してしまうことになります。

しかし生物は自分の種族を保存するために、これを解消する巧妙な仕組みを持っています。それは、その一部を入れ換えて、いわゆる「組み換え」をするのです。良い組み合わせをもらった細胞だけが、生存競争に打ち勝って、生き残る仕組みになっています。そして、生物は正常な子孫をつくっているのです。そればかりではなく、より優秀な、よりよい子孫をつくって、生物は進化していくのです。

だから、この世に生まれてきた人は、すでに生存競争に打ち勝ってきたのです。「落ちこぼれ」なんて、人間の中には1人も存在しません。世界中の学者が集まっても、世界中のお金を使っても、決して創ることができない価値あるものなのです。

人間は、この世に生まれてきただけでも、この自然界で大変な偉業を成し遂げたのであり、現在、自分が生きているということは、まさに奇跡中の奇跡、素晴らしいことなのだと、もっと自覚するべきではないかと思います。ただ、多くの場合は、残念ながら、その中に隠された可能性を充分に活用していないのです。その人でなければならないような長所や特徴があるのに、充分発揮されていないのです。せっかく、それぞれの人に与えられた宝があるのに、その扉も開けずに過ごしていることは残念です。常に絶えざる努力をしている人は、その人だけの美しい花を咲かせることができるのです。