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インターネットとは何ぞや

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年5月8日

インターネットとは何ぞや

評論家 草柳大蔵(第2313号・平成12年5月8日) 

インターネットは便利には違いないが、もうひとつ、安心できないという声を聞くことがある。ハッカーが現われたり、金だけ集めて逃走する輩が出たり、それにインターネットの会社を経営する社長なるもののうじすじょう氏素性が知れないのが気がかりだ、というのである。

たしかに情報革命なるものが起ってから、やたらに横文字がふえた。新聞雑誌によく出るものだけを取り上げてみても、SCM(サプライ・チェーン・マネージメント)ECR(エフィシェンシイ・コンシェーマー・リスポンス)CRM(カスタマー・リレイションシップ・マネージメント)ERP(エンタープライズ・リソーセズ・プランニング)等々である。なにやら、戦術がスマートに語られていそうだが、なんのことはない、「顧客を逃がすな」「その手段にカネをかけるな」「注文があったらすぐ届けろ」「社内の要素を計画的に使え」と、商売をやっているものならアタリマエのことを言っているにすぎない。

さて、この調子で「インターネット」を日本語に直すとどうなるか。私がお目にかかった最高の名訳は「衆縁和合」である。人にあうのも何かの縁、いい話を聞くのもなにかの縁である。情報過少の社会には独断と偏見が横行するが、情報の豊かな社会は問題解決がソフトランドで現われる。

「縁」といえば、日本の産んだ世界的な学者・南方熊楠氏の名言がある。

「あらゆる結果にはあらゆる原因がある。しかし、同じ原因が同じ結果を産むとは限らない。なぜなら、ある結果が出るまでに、必ず“縁”が入るからである」

南方氏の世界的評価をきめたのは「粘菌」だった。それは「ある縁」がつくった産物である。「陛下、これがそうです」と南方博士が「粘菌」をキャラメルの空き箱に入れて昭和天皇に献上すると、陛下はこのうえなく喜ばれたそうである。衆縁を和合すれば、地方の産物や風景の付加価値は間違いなくあがる。これからの自治体は「縁」を世界に求めるべきではないか。