九州大学大学院法学研究院教授 嶋田 暁文(第3373号 令和8年9月14日)
詩人の谷川俊太郎は、石牟礼道子らと行った座談会の中で “『岩波古語辞典』に、「住む」は「澄む」と同根であるということが出ていた”と興奮気味に語っている(「漂泊と定住のはざまで」『〈ふるさと〉の環境学 平凡社カルチャーtoday3』、1979年)。「ある一カ所に住むということ」は、「濁っている水が自然に沈殿していって、それが澄んでくるということ」と同じだというのである。
こうした感覚は、今日の日本の地域社会にも根強く残っているように思われる。たとえば、「すぐにいなくなってしまうような人間(ヨソ者)は信頼できない」、「ずっとそこに住んでいる者であれば、裏切らないし、責任ある行動をとるはずだ」といった発想が今なおよくみられるのは、その証左ではないか。
地方自治法が「住民」を「市町村の区域内に住所を有する者」と定義しているのも(同法10条1項)、「住むは澄む」という感覚と響き合うところがある。「住民」は、その属する自治体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を分任する義務を負う、とされる(同条2項)。逆に言えば、その市町村の区域外に住む者は、地方自治法10条上、当該市町村の『住民』としての権利・義務の主体とは位置づけられていない。
しかし、こうした「住民」のとらえ方を相対化する動きが生じてきた。第1に、その区域に住んでいても日中にいない者もいるし、逆に、住んでいなくても日中にその区域内で活動する者もいる。このうち後者については、法的な意味での「住民」でなくとも、地域社会を構成し、まちづくりを担う「市民」として位置づけた方がよいのではないか。全国各地の自治基本条例が、区域内の居住者だけでなく、通勤・通学者や区域内で活動する者などを独自に「市民」と定義してきた背景には、そうした発想が存在していた。
第2に、2016年頃からであろうか、住んでいなくても継続的かつ多様な形で地域に関わる人、いわゆる「関係人口」が注目されるようになった。そして、2025年には、住所地以外の地域に継続的に関わる人を「ふるさと住民」として登録し、関係人口を可視化する「ふるさと住民登録制度」を創設する方針が打ち出された。現在、その本格運用に向けた制度設計や準備が進められている。これは、「住んではいないけれど、好きな地域に関わりたい、その地域のために何かしたい」という思いを持つ人を公式に迎え入れ、地域で活躍してもらうための仕組みであり、「住んでいない人たちと一緒に地域づくりを進める」という新たな可能性への挑戦にほかならない。
移住者に対し、定住へのプレッシャーをかけたり、「どうせすぐにいなくなるんだろう?」などと牽制し、冷たく対応したりするのではなく、「仮に将来的に他の地域に移住したとしても、関わり続けてくれるような関係づくり」を心掛けるべきであろう。
「住むは澄む」という感覚を乗り越え、「住んでいるか、いないか」という二分法ではなく、その地域との「関わりの実質」から地域の構成員をとらえ直していく必要がある。