東京大学名誉教授 西村 幸夫(第3355号 令和8年4月6日)
この町村週報が届くころは、ちょうど新年度のスタートの時期で、年度末のばたばたした時期も終わり、いずこの組織も新しい幕開けの気分ではないかと推察する。大学にながらくかかわってきた身としては、卒業や入学といった儀式やその前後の単位取得や入試採点、オリエンテーションなどのもろもろのルーティンワークがこの時期の恒例の作業である。
その際、よく言われてきたのが、欧米では9月から新年度が始まることが通例なので、留学生を送り出すにしても、受け入れるにしても、学生にとって不都合が大きいということである。ではなぜ、欧米の新学期は9月に始まり、日本の新学期は4月に始まるのか。新年度も同様である。
このことに関しては、欧米では、麦の収穫の時期を終えてから、新年度・新学期が始まるので、9月スタートとなった、というのが通説である。それに対して、日本では米の収穫の時期がずれるので、新年度・新学期が4月スタートとなったと言われている。
米の収穫は秋なのになぜ4月かというと、年貢米を大坂の各藩の蔵屋敷に搬送し、その後、堂島の米会所などで換金され、それを国元に還流させるため、タイムロスが発生するからだということである。
この説が正しいとして、驚かされるのは、欧米でも日本でも農作業が年度を区切る基準となっていることは同じだという点である。いずれの国においても、農業が国の基盤だった点は変わりないので、当然だと言えばその通りであるが、国の制度の枠組みそのものである年度の仕組みにまでそれが貫徹しているというのは感慨深い。
さらに日本の場合は、米会所による換金システムまでかかわって年度の区切りが決められているとすると、その社会システムの複雑さは欧米以上ということにもなりそうだ。そのうえ、大坂で換金(換銀?)されたのち、大坂商人が造り上げた為替の仕組みによってそれぞれの国元に安全に資金を移動させる仕組みまで整っていた。
年度の始まりにあたって、こうした年度や学年の制度と米作とのかかわりについて、想いを致すことも無駄ではないのではなかろうか。この国の制度の根本のところに農業がかかわっているのである。