九州大学大学院法学研究院教授 嶋田 暁文(第3328号 令和7年8月4日)
知らない人のピアノの音はうるさく感じるが、知っている人のピアノの音だと「今日も元気にしているのだな」とうれしくなるという。「近所のこどもたちの遊んでいる声を好ましく思うか、うるさいと感じるかは、その子たちと親しいかどうか次第である」というのも同じ理由であろう。要するに、人間関係が希薄だと、何をしても苦情が出やすく、トラブルになりがちなのである。その結果、社会(特に役所)に生じるのは、「もしも何かあったら困るから」という理由に基づく、新たなチャレンジに対する防御的な対応であり、「何もしない」という不作為である。
苦情増加の原因には、人々の「お客様」化というのもある。市場サービスを購入することばかりに慣れてしまうと、何事に対しても「してもらって当然」になり、感謝の心が失われる。権利意識ばかりで当事者意識のない人々は、一方的な要求と苦情、そして相手への責任追及のみに向かってしまう。その結果生じるのは、「こういうルールになっているので」という理由に基づく防御的な対応であり、「最低限のことしかしない」という消極的な行動である。
人間関係が希薄で、人々が「お客様」化した社会は、互いの心を冷やしあう社会であり、窮屈で生きづらい社会ではないだろうか。
そうした社会に生きる人々の心の空白は、いかにして埋められるのか。この点、一つには、刺激的な市場サービスで埋めるという方法がある。東京をはじめとする都会は、一方で人々の心の空白を生みだしつつ、他方でそうした方法で埋めるというマッチポンプ的なやり方で人口を吸引してきた。
しかし、心の空白を埋める方法はほかにもある。人間関係が濃密で、「自分たちの住んでいる場所は自分たちでどうにかしなければ」という当事者意識を持つ者が多い農山漁村との関わりを持つ、という方法である。関係人口が増えている背景には、こちらの方法への人々の気づきがあるように思われる。
人間関係が濃密で、人々が当事者意識を持ちやすいという社会特性は、自由で豊かな発想を持つ外部人材と結びつくことで、地域づくりにも有効に作用しうる。個性的で魅力的な地域づくりができているところに島根県海士町をはじめとする小規模町村が多いのは、そのことを示唆しているのではないだろうか。