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芭蕉の旅心

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月12日

千葉市男女共同参画センター名誉館長 NHK番組キャスター 加賀美 幸子
(第3033号・平成30年3月12日)

弥生も末の七日(3月27日)…松尾芭蕉は江戸深川を発って「奥の細道」の旅にでる。旧暦3月27日は今でいうと、5月16日になる。これから向かう奥州はいよいよ春の盛り、各地の自然と人々を訪ねるにはぴったりの時期だと改めてその日付にも意味を感じる。いわゆる旅行記でなく、隅々まで行き届いた芭蕉の思いを知るのである。

奥州、出羽、越路、加賀、美濃の大垣までの約5ヶ月にわたる旅の先々で、その地の何に目を向け、どういう人の生きかたに共感しているか、『奥の細道』の言葉に耳を澄まし、目を凝らしていると、芭蕉が何を大事に旅をし、書き留めようとしていたかよく判る。
芭蕉は17世紀後半の江戸時代の人だが、芭蕉が敬愛する西行や多くの歌人たちが歌い残した土地「歌枕」を訪ね、そこに伝えられている故事を見つめるのが芭蕉の『奥の細道』の旅である。

芭蕉が思いを寄せる義経や義仲のことも平泉や小松を訪ねた時に語られる。多くの歴史上の人物のことや漢詩の知識を下敷きにしていることも伝わってくる。だからその濃さ深さに人々は心動かされる。

『奥の細道』に描かれている各地の自然の様子は今と少し変わっているが、人々の心は変わらない。

旅の途中で出会った人々、芭蕉の好きな人が分かる。命をかけてストイックに生きている人。しっかりしていても何だかユーモアがある人。何故か女性は少ないのだが、誠にすっきりしていて印象的である。

那須野では「かさねとは八重なでしこの名成るべし」曽良の句だが、心は芭蕉も同じである。「かさね」という名、そして「撫子」。つい「なでしこジャパン」を連想する。優しく強いなでしこは昔から日本人の価値に合っている。越後、市振での一句「一家に遊女もねたり萩と月」前世の報いでこのように生まれてしまった。だから伊勢参宮して身を清めに行くという遊女。その姿を萩と月が清めているよ。芭蕉の捉え方、価値観がわかる。