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時の流れをどう捉えるか

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年2月26日

東洋大学国際学部国際地域学科教授 沼尾 波子 (第3031号・平成30年2月19日)

昨年四月にグローバル教育を掲げる大学に転職したことをきっかけに、錆びついた英語の勉強を再び始めることとなった。だが「五十の手習い」で英語の学び直しができるほど甘くはなく、悪戦苦闘の日々を送っている。

とはいえ、改めて英語を学ぶなかで、いろいろ発見したこともある。その一つが現在完了だ。中学校で「have+過去分詞」と習ったことを覚えている人も多いだろう。一定期間ある状態が続き、それがちょうど今まで続いている(いた)という概念を表す時制である。だが、これがなかなか腑に落ちない。日本語にはない、この時制を用いる感覚が分からず、ずいぶん英会話学校の講師を質問攻めにした。

この現在完了だが、時間軸からある一定の期間を切り取り、その間の状態を捉えるという時制であるようだ。例えば「私は宿題をやり終えた」という風に、あたかもスケジュール帳の一定の幅を「宿題」という色で塗りつぶし、それが終わったことを表すのだ。

だが、日本語には、こんな風に時間の流れを一直線に捉え、その中の一定の幅(=期間)を切り取り、その間にある状態が続いていたことを明示的に叙述するような時制はない。四季は繰り返し、輪廻は転生する。時は、いわばコイルのようにグルグルと循環しながら、少しずつ位相を変えて進んでいくものなのかもしれない。何かが繰り返される。だが以前とは少し形をかえながら時間が進んでいく。また桜が咲いた。でも去年の桜とは少し違う。そこには、「一カ月桜が咲き続けた。」といった完了形はなじまない。この桜は形をかえて、来年もきっと咲くのだ。現在完了型の思考は、桜を点検する公園管理者の感覚に近い。

こんなことを考えるうちに、前年度踏襲で、総花的に各部署に予算を配分してきた方式は、きわめて日本的なのかもしれないと思えてきた。昨年度も、今年度も、来年度も、地域は存続し、人々は暮らす。そんな地域が末永く続いていくことを支えるために行政は在り、そのための予算が前年度踏襲型で配分され続けたとみることもできなくはない。

だが昨今の行財政改革は、いわば現在完了型思考に近い。個々の施策や事業ごとに目標を設定し、期間を区切って達成度を評価する。三月までに公園整備を行い、観光客を二倍にする。それを一定期間で達成することを目指すのである。

もちろん財政難の折、目標設定型の予算管理は大切だ。だがこれからも地域が在り続けるための基本的な営みを支える予算という発想もまた大切だと思える。そして、それを大局的に見つめて評価するには、単に時間を切り取って目標を設定するのではなく、地域の永続性を意識したもう一つの眼差しで行財政運営を見つめることも必要である。