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未来志向の「ネットワーク型村づくり」

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年2月2日

農業ジャーナリスト・明治大学客員教授 榊田 みどり(第3028号・平成30年01月29日)

昨年11月、飯舘村を訪れた。福島第一原発事故後、農業取材で何度か足を運んできたが、今回は避難指示解除後の村の現状や行政の方針を改めて知る旅になった。

2004年から「までいライフ」を掲げた独自の村づくりで注目を集めた飯舘村。「までい(真手)」とは「両手」の意味で、大量生産・大量消費・大量廃棄を見直し、手間暇を惜しまない資源循環型農業を軸にした地域経済の循環を目指していた。

皮肉にもエネルギー大量消費を支える原発の事故での全村避難。現在、帰村者は1割弱。事故以前は3世代同居が多かったが、事故後の避難で若い世代と高齢世代の世帯分離が進み、帰村者の多くは高齢世代だ。

多くの村の方々が言うように「ゼロではなくマイナスからのスタート」だが、それでも同村が目指す復興の方向性には希望を感じた。ひとつは「ネットワーク型の村づくり」、もうひとつは村外避難者も含めた村の中学生を対象に始めた持続可能な地域づくりのためのドイツ視察研修「未来への翼」だ。

放射線の影響に対する考え方は村民間で異なり、「戻る」「戻らない」「2地域居住」と選択は別れている。避難指示解除への根強い批判もある。それでも、各住民の選択を尊重しながらつながりを保ち、さらに村を応援したい村外の人々ともつながる、“定住人口”だけにこだわらないネットワークを核に新たな“までい”な村づくりを目指している。

事故は、村外から多くの支援者の来訪も生んだ。村民でなくとも村の課題を“自分ごと”として考え頻繁に足を運ぶ人々、つまり最近注目される「関係人口」の確保では、すでに全国で一歩先を行く形になっている。

村民座談会で「元通りの村に戻れないんだったら、もっともっといい村にしていくしかない」という言葉が出たと聞く。もちろん課題山積の船出だが、次世代に向けた長期的な村づくりの視点には、他の町村にとって参考になる先進性が秘められているのではなかろうか。