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村に楽しみの場をつくろう!

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月19日

民俗研究家  結城 登美雄(第2937号・平成27年10月19日)

米価の低落で実りの秋を喜べなくなった昨今だが、しかしこの秋、私は久し振りに心熱くなる田んぼに出会うことができた。福島県川内村のKさんが、3・11以後、 両親の高齢化もあって耕作放棄されていた田を起こし、43歳になって初めて餅米を手植えしたという。

福島第一原発から30㎞圏内にある川内村は周辺町村に比べ放射線量が低く、いち早く帰村宣言したが、実際に帰村した住民は半分ほどで、その多くは高齢者。 若い世代は放射能への不安や子供の教育問題などを理由にその多くが戻れないでいる。加えて村に帰っても仕事の場がない。買物が不便、病院・福祉施設の不足等々、課題が山積。 このままでは村が消えてしまう。そんな声もきこえてくる。

そんな中でKさんはなぜ餅米を植えたのか。Kさんは言う。「飢饉、凶作、自然災害・・・。この村の先輩たちはどのようにして危機と困難をのり越えてきたのか。それを仲間と勉強しました。 先輩たちは村が抱える問題点を解決すれば終わりというのではなく、祭り、神楽、盆踊り、相撲大会、句会など村にたくさんの楽しみの場をつくることでみんなの元気を取り戻し、 楽しみを共有する仲間の力で前進していったのだ、ということを学びました。そしてその楽しみの場には必ずおいしい餅料理があり、楽しみの日は餅を食べる日。 今でも川内村には年間40日も餅をついて食べる農家があります。その伝統文化を子供たちにも体験させ、村内外の人と餅料理を味わい広げ、それを土台に餅料理食堂や特産品開発もしたい。 そしてまだ帰還できずにいる村外住民にも正月の鏡餅にして届けたい」と。

地域が積み上げてきた食文化を見直し、バラバラになりがちな村民のつながりを取り戻そうという試み。まだ小さな動きだが復興への大きな力になると思われる。 厳しさ募る被災地から生れた「村に楽しみの場をつくろう」という試み。全国の町村の地域づくりのヒントになるのではあるまいか。