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歯の痛み

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年9月27日

エッセイスト 山本 兼太郎 (第2287号・平成11年9月27日)

世の中の大事大変よりも、身辺のささやかな不都合が、はるかに気になる。当方などは、このところ歯痛に加えて、歯茎の不愉快な腫れに苦しめられて、ご近所のゴミの当番も放り出してしまった。生活の「公」の部分をないがしろにしてしまったわけである。こんな話を友人にしたところ、「歯痛には数学だ」と笑っていた。

パスカルという人、フランス17世紀の科学者であり思想家である。30歳をすぎたころから、ムシ歯に悩まされるが、十分な治療法のないころである。難しい数学の問題を解くことに精神を集中させることで、あの激烈な痛みからのがれようとしたというのである。

ムシ歯もさることながら、「入れ歯」で苦労したのが滝沢馬琴、江戸時代末期の戯作者である。60歳のころに「入れ歯」をつくってもらっている。1両2分ほどかかったそうだ。半年ほどはぐあいもよかったが、それ以後はトラブルつづきで、1回の修理代に1分もかかっている。1分というのは1両の4分の1で、当時の独身男性の1カ月分の生活費にもあたる金額だそうだ。歯の痛みもさることながら、財布の方のいたみもかなりのものである。こうしたなかでも、「南総里見八犬伝」など、多くの傑作を残している。

さて、パスカルのことだが、ただ漫然と歯痛をこらえながら数学を解いていたのではない。後世に残るような多くの数学上の発見をしている。そして「人間は自然のなかでは弱々しい1本の葦にすぎない。しかし人間は考える葦である」との名言を残して、人間として考えることの偉大さを示している。

歯痛という身辺の不都合によって人間を考え、真理の追求などは普通の人にはできることではない。当方などは、痛みのあまりゴミ当番まで放り出して、近所に迷惑をかけるばかりである。痛み止めの薬で、一応はおさまったように見えるが、さて根本的な解決にはほど遠い。