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食べ残し

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年6月14日

エッセイスト 山本 兼太郎 (第2276号・平成11年6月14日)

「使い捨てなら、まだいいほうだよ。使われないうちに、もう捨てられているのもあるぜ」と、駅前の赤ちょうちんで、中年男が苦笑しながら、話しあっているのを耳にした。

最近のリストラのことかと思ったら、東京の一流ホテルでパーティーに出される御馳走の話らしい。その40%が、手もつけられずに捨てられているという。食べきれないほどの御馳走を、景気よく盛り上げないと、客に喜ばれないというのである。

これを聞いていて、古代ローマ帝国の話を思い出した。繁栄の絶頂期に、貴族たちは嘔吐室という不思議なものを発明している。宴会での美食飽食のあげく、腹がいっぱいになると、嘔吐室で吐き出しては、胃袋を空っぽにして、再び食べはじめる。このようにして、食の欲望と虚栄を満足させているうちに、国が滅びてしまったというのである。

彼らは吐いては食べていたとしても、一度はそれを味わった、とにかく胃袋におさめている。ところが、わが方のホテルの宴会では、半分近くが、食べもしないで捨てられる。「使い捨て」どころか、「使わない前に捨てられる」というわけである。

わが国では1年間に、360万トンの食料が、食べられずに捨てられているそうだ。といっても、これは家庭で消費される分だけで、さきのホテルの宴会、飲食店での食べ残し、あるいは食品製造や流通の過程でのロスを考えると、いったいどのくらいが無駄になっているのだろうか。

よくいわれるように、わが国の食料の自給率は1960年度には79%(カロリーベース)だったが、最近では41%にまで落ち込んでいる。先進国の中では、最低の水準だそうだ。

地球の温暖化などで、ちょっとした気象の変化が、農作物などに甚大な影響を与えることも心配だ。米国ではすでに、食料のロスを少くする運動も始まっている。