エッセイスト・画家 玉村 豊男 (第2624号・平成19年12月17日)
いわゆる平成の大合併によって、多くの町や村が姿を消した。
もちろん町や村の実態が消滅したわけではなく、地名から町や村の字がなくなって市の中の一地域となるなどの変化だが、その結果、住民が足を運ばなければならない役場が遠くなるだけでなく、学校その他の公共的な施設もしだいに統合されていくことになる。
日本では、同じ市や町の中に、公共施設や商業施設が集中する都市部と、田畑が連なる農村部をともに抱えるケースが少なくない。それが小さな町村の単位であれば、必要最低限の施設はその町村の中心部に設けられていたので、「都市」部、と呼べるほどの規模でなくても、それなりに機能の集積は果たされていた。が、しかし、合併によって、そのわずかな「都市」機能は解体され、隣接のより人口の多い地域へと移譲される。
最近の都市は、都市機能を中心地域に集中させて能率的な運営をはかるコンパクトシティー化を目指す傾向があるが、だとすると、旧来の周辺部はますます過疎化が進み、人口はより多く中心部に集中するだろう。お年寄りがクルマを使わず公共交通機関を利用して生活できるのはよいことだが、実際には取り残される周辺の農村部にこそ高齢の住民が多いのだから。
農業国といわれるフランスでも、都市の近郊に住宅地が増え、周辺の小さな農村が廃村となるケースが目立っている。小規模農業が立ち行かなくなると同時に、学校や病院のない村に住む若い世代が減少しているのである。
いま中央と地方の格差が問題となっているが、都市と農村の格差は、とりわけ大合併以降、同じ市の中にも生まれてきている。都市は都市らしく活気があって機能的で、農村は農村らしく静かで自然環境に恵まれている、というのはひとつの理想だが、都市を支える農村が衰退するのは、都市にとっても痛手のはずだ。