エッセイスト・画家 玉村 豊男 (第2516号・平成17年4月11日)
地域の活性化。
この言葉をいったい何度私たちは口にしたことだろう。
町は商店街の空洞化に悩み、村は高齢化と荒廃農地の増加に悩んで、ともにこれといった有効な解決策が見つからない。
だから人びとは活性化、活性化とお題目を唱えるのだが、口で唱えても事態はなにひとつ変わらない。
たまに成功した事例があると、全国から視察や研修の団体が集まるが、見学で何かを得てそれが自分たちの土地の活性化に繋がったという例はあまり聞かない。人材がいない、危機感がない、予算がない……言い訳の理由はいくらでも探し出せる。
地域の活性化に、どこにでも通じる一般的な解答はない。それぞれが、まず自分たちが持っているもの、いまその土地にあるものをあらためて洗い出し、認識し、昔やっていて今やらなくなったことを復活させ、暮しの足元を見つめ直すことからはじめるしかないだろう。
古いものをただ否定するのではなく、古い土壌に新しい花を咲かせるのである。過去を否定した未来はあり得ない。どこの村にも宝はあるはずで、だからそこで人びとは暮らしを紡いできたのである。それをもう一度見つけることができたなら……。
探して、洗い出して、突き詰めて、考えた結果、もしも自分たちの地域になんの魅力も財産も、受け継ぐべき伝統もないことがわかったとしたら……自分たちもそこから逃げ出して棄村廃町を覚悟するくらいの、本当に真剣な議論がなければ、そう遠くない将来、実際に消えていく町や村が数え切れないほど出てくるのではないだろうか。