エッセイスト・画家 玉村 豊男 (第2437号・平成15年4月28日)
信州のいわゆる中山間地域と呼ばれる里山の斜面で野菜や果樹を育てているのだが、移り住んでしばらくした夏のある日、近くの農協のスーパーへ買い物に行って驚いたことがある。そこで売られているシシトウが、なんと高知産だったのだ。
季節は夏。わが家の畑にはシシトウが青々と実り、自家用とはいえ食べきれないほどの量ができて知り合いに分けたりしているのに、そこからクルマでわずか10分行ったところにあるスーパー、それもよりによって農協のスーパーに、はるか遠くから運ばれてきた同じシシトウが並んでいるとは!
野菜の産地がブランド化していて、大流通が市場を席巻していることは知っていた。高知県が、ピーマンやシシトウの一大産地としてすぐれた産品をつくっていることも知っている。また、南国で季節に先駆けて栽培される走りの野菜を尊ぶ日本人の季節感もわかる……が、山の上の畑でシシトウがたくさん生っているその同じ季節に、同じ町の消費者は、自分で畑をやっているか近くに農家の知り合いがいない限り、遠くのブランド産地のシシトウを農協で買わなければならない、というのは滑稽な現象ではないだろうか?
このときから、私は「地域自給率」という言葉を考えるようになった。
私たちが毎日食べている食材の、いったいどのくらいが、自分の住んでいる地域かそのすぐ近くでつくられているのだろう?
一般に食料自給率というのは国単位で考えられることが多いが、その範囲をもっとせばめて、同じ町内だとか県内だとかに区切って考えてみたらどうだろう?
地産地消、という言葉が認知されつつあるが、それがどの程度に実現しているか、毎日の食卓にのぼる食材の生産地を調べて地域自給率を出していけばわかるのである。
自給自足から、全面的な外国依存まで。食卓の上に地図を描く作業は、案外家族の恰好の話題になるかもしれない。