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電報

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月7日

読売新聞東京本社論説委員・コラム『編集手帳』執筆者 竹内 政明
(第2952号・平成28年3月7日)

一年浪人して遠方の大学に入った。はるか昔の話である。インターネットはまだない。合格発表を見に出かけるのでは金がかかる。電報を頼んだ。当時は遠隔地から訪れた受験生のために、 在校生がアルバイトで電報を受け付けていた。住所と受験番号を伝えて幾らか支払うと、合否を教えてくれる。二年つづけて同じ大学を受けたので電報も二本もらった。文面はいまも記憶している。

一年目〈ポプラ並木雪深し、再起を祈る〉。
二年目〈クラークほほ笑む〉。

二本目の電報を見て、いささか大仰にいえば悟得したことがあった。一年目より電信文が短い。字数は半分以下である。そうか、幸せな人には事実だけを伝えればいい。不幸な人には、 それでは足りない。「再起を祈る」のひと言を添える。言葉とはそのように使うものなのか、と。一本目と二本目は同一人物が書いたわけではないので、文面を比較しても本当は意味がない。 独り合点の悟得ではあるのだが、そこは多感な年頃である。世の中を生きていく秘密の作法を教わったかのように胸が波立ったのを覚えている。

のちに新聞のコラムを書くようになって、時どき思う。どうやら二本の電報は知らず知らずのうちに、わが血肉になっていたらしい。というのはコラムの題材を選ぶとき、 とくに自覚もせずに勝者ではなく敗者を、日なたにいる人ではなく日陰にいる人を選んでいるのである。

例えばバンクーバー冬季五輪の男子フィギュアスケートでは、日本人男子として初のメダルに輝いた高橋大輔選手ではなく、演技中に靴のひもが切れた失意の織田信成選手を取り上げた。 大相撲の場合は同じ日に引退を表明した力士のうち、人気抜群の高見盛関ではなく、けがにたたられつづけて努力家ながら地味な印象の武州山関を取り上げた。 ただのヘソ曲がりといわれれば抗弁するつもりもないが、無意識のうちに〈再起を祈る〉のひと言を添えていたのかもしれない。

巣立ちの春である。多感な若い人が一生ものの言葉に出会えたらいい。