読売新聞東京本社論説委員・コラム『編集手帳』執筆者 竹内 政明
(第2915号・平成27年4月6日)
内田百閒は随筆に書いた。「汽車を目の中に入れて走らせても痛くない」。寺山修司は語った。「私の墓は汽車の連結器の中につくってほしい」。作家ほど熱烈な鉄道マニアではなく、 詩人ほど旅情に鋭敏な神経を持ち合わせているわけでもない。それでも旅においては長年、頑固な「列車派」をもって任じている。
なかでも夜行寝台列車が好きで、「北斗星」で行く旅は、わが貧しき人生にそう幾つもない楽しみの一つに数えてきた。上野と札幌を結ぶ寝台特急である。
何がいいのかと問われればありすぎて困るが、上野発の場合でいえば仙台を出てからがことにうれしい。すでに深夜、岩手県に入る頃は車内のアナウンスが終わっている。 沈黙のなかでホームに停車し、沈黙のなかをホームから出ていく。遠ざかる駅の灯を車窓から眺める胸の波立ちを、憂き世の何にたとうべき。
先月、北斗星が姿を消した。車両の老朽化に加えて、北海道新幹線の試験運行が始まると、ダイヤの調整がむずかしくなることが廃止の理由らしい。青い客車の「ブルートレイン」は、 北斗星の後ろ姿とともに死語の仲間入りをすることになる。〈雨に濡れし夜汽車の窓に/映りたる/山間の町のともしびの色〉。あの明かりの下にも家族がいて、生活があり、 ささやかな喜怒哀楽がある。車窓から眺める遠い灯に誘われた感傷を旅の思い出にしている人も多かろう。
と、いくら愚痴を連ねてみても、泣く子と効率には勝てないご時世である。寝台列車の頃は良かった。いや、青函連絡船の頃はもっと良かった。いや、 蒸気機関車の頃はもっともっと良かった…と過去をさかのぼっていけば、『奥の細道』や弥次喜多道中の昔にまで戻らざるを得ない。未練の言葉を重ねたところで、無駄な抵抗とは承知している。
愚痴の最後は僭越ながら、北斗星を愛した人々に成り代わる勝手を許していただくとしよう。〈星一つ命燃えつゝ流れけり〉。高浜虚子の一句を霊前に手向け、うしなわれた旅情への供養とする。