読売新聞東京本社論説委員・コラム『編集手帳』執筆者 竹内 政明
(第2862号・平成25年12月9日)
酒を飲むと、ときに人は演技をする。「これっぽっちの酒で酔うかよ」と理性の健在を装いつつ、目の据わっている人がいる。「いけません、もう駄目、これ以上飲んだら倒れちゃいます」と言いつつ、 ほかの誰よりもしっかりした足取りで帰っていく人もいる。
連れの演技に惑わされて不用意な言動をとると、思わぬ禍根を残すことにもなりかねない。歌人の篠弘さんに一首がある。歌集『至福の旅人』より。
酩酊のポーズをとりし背の芯に浴びせられたる声を忘れず
「こいつは酔っぱらっているから、いま何を言っても覚えちゃいまい」とタカをくくった誰かが、普段は秘めている本音を口にしたのだろう。言われたほうはその言葉を胸のノートに太字で綴り、 怨恨の種は心に深く根を下ろす。
職場は申すに及ばず、隣近所であれ、何であれ、本音や本心はそうたやすく口にできるものではない。「課長は社内の鼻つまみですね」と言いたいところを、「一匹狼ですね」などと飾って言う。 有名ホテルなどのレストランでメニューの〈誤表示〉が明るみに出たが、浮世の人づきあいは「ブラックタイガー」を「車エビ」と言いくるめるのにも似た〈誤表示〉を潤滑油にして動いている。
何年か前に読んだサラリーマン川柳の優秀作を思い出す。
無礼講 会社に戻れば無礼者
忘年会に新年会と、つきあい酒の増える季節である。場面によっては名演技も交えて、どうか楽しいひと時を。
酒にまつわる名言至言を道楽で収集してきた。 作家の故・高橋和巳が随筆に書いた一節がある。〈「いいお酒ですな」と人に感心されるような飲み方が、あんがい静かな絶望の表現であったりする〉(『酒と雪と病』)
渋い演技はオスカーものだろう。