読売新聞東京本社論説委員・コラム『編集手帳』執筆者 竹内 政明
(第2848号・平成25年7月22日)
故郷の柴又に帰ってきたフーテンの寅は、実らぬ恋でひと騒動を起こしては家族と口論し、トランクを手にまた旅に出る。映画『男はつらいよ』である。
幕切れの間近、寅は旅先からしばしばお詫びのはがきを書いた。
〈思い起こせば、恥ずかしきことの数々、今はただ後悔と反省の日々を過ごしおりますれば、どうかお忘れいただきたく…。車寅次郎〉。味のある金釘流の文字に重なる渥美清さんの声を、 ご記憶の方は多かろう。
寅さんほどには恋も口論もしないので詫び状はないが、毎年この季節、1枚、2枚と、行楽の旅先にいる誰かしらから絵はがきが届く。
陰暦7月の異称を「文月」といい、8月を「葉月」という。その名称は文通の「文」、はがきの「葉」に由来する…わけではなく、それぞれ語源は別にあるのだが、 私は勝手に〔絵はがきの季節〕と名づけて来信を心待ちにしている。
いまここにいる、と知らせてくるだけで、中身はどうということもない。自分だって、つい何日か前まではここにいてあくせくしていたくせに、「どうだい、東京は相変わらず暑いかね?」などと要らざる質問をしてくるのもいる。
それでももらってうれしいのは、美しい景色があり、土地のおいしい料理もあり、日常を忘れさせてくれるものに囲まれたなかで、自分のことを思い出してくれた。その気持ちである。
いまは亡き川柳作家の時実新子さんに一句があった。〈じんとくる手紙をくれたろくでなし〉。同性の友人であれ、惚れた腫れたとは無縁の幼なじみであれ、 文面をことごとく恋文にしてしまうような魔法が絵はがきにはある。
「××にて」。大きな声では言えないが、差出人の住所欄におおざっぱな地名しか書かれていないのも絵はがきの功徳である。返信の出しようがない。もらうのはうれしいくせに、 仕事以外で字を書くのが苦手な筆無精のろくでなしは、いつもホッと安堵の息をつく。